映画『怪物』感想:観客の無自覚を暴く構成と演出

(C)2023「怪物」製作委員会

高まりきった期待を超えてきた傑作。

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作品情報

映画監督・是枝裕和と脚本家・坂元裕二がタッグを組んだオリジナル映画。小学校で喧嘩していた二人の子供は、ある朝突然と姿を消した。音楽は坂本龍一が担当。第76回カンヌ国際映画祭では、脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した。

出演: 安藤サクラ / 永山瑛太 / 黒川想矢 / 柊木陽太 / 田中裕子 ほか
監督: 是枝裕和
脚本: 坂元裕二
公開: 2023/06/02
上映時間: 126分

あらすじ

大きな湖のある郊外の町。
息子を愛するシングルマザー、
生徒思いの学校教師、そして無邪気な子供たち。
それは、よくある子供同士のケンカに見えた。
しかし、彼らの食い違う主張は次第に社会やメディアを巻き込み、
大事になっていく。
そしてある嵐の朝、子供たちは忽然と姿を消した―。

ABOUT THE MOVIE | 映画『怪物』 公式サイトより引用
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レビュー

このレビューは映画『怪物』および関連作品のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

言葉が持つ無意識な暴力性

一組のカップルの出会いから別れまでを、圧倒的なリアリティで描いた映画『花束みたいな恋をした』(2021)。脚本を務めた坂元裕二さんは、長年にわたりテレビドラマに携わっている方ですが、同作で久しぶりに映画の脚本を書き下ろしました。

坂元さんは2018年頃、プロデューサーの川村元気さんと山田兼司さんとともに、この映画の開発も進めていました。プロットが出来た段階で、是枝裕和さんに監督を依頼したのだそう(※1)。

※1:NEWS | 映画『怪物』 公式サイト参照

監督作がカンヌ国際映画祭で何度も高く評価されている是枝さん。『そして父になる』(2013)は審査員賞、『万引き家族』(2018)はパルム・ドールを受賞しました。そんな是枝さんが映画デビュー作『幻の光』(1995)以来、自分以外が執筆した脚本の監督を務めます。

元々お互いの作品のファンであったというお二方。まさに夢のコラボが実現しました。それに加え劇伴を手掛けるのは、映画『ラストエンペラー』(1987)などの音楽を担当した坂本龍一さん。今年3月に亡くなってしまったため、映画音楽としては彼の遺作でもあります。

物語の発端となるのは、小学5年生のクラスで起きた子供同士の喧嘩。何気なく見えたその喧嘩が、彼らの親や担任教師をはじめとした大人たちを巻き込んでいく。

前提として今作は、作品を観た後に一人ひとりの心に残る余韻が、特に重要な映画だと思いました。なので内容を詳しく文章化したり、作り手の意図を過度に解説したりするのは、おこがましい気がします。

というのも私たちは日々、物事を理解する際、既にあるジャンルに当てはめて考えてしまいます。しかしそうしたジャンル分けは、当事者にとって必ずしも正しいとは限りません。いわば暴力性を孕んでいる「決めつけ」なのです。私はこの映画を通して、言葉が持つ暴力性を再認識させられました。

ポスターや予告で使われている台詞「怪物だーれだ」。この問いかけに対する答えに絶対的な正解はありません。そして「怪物」を探し出す行為自体にも、この映画は疑問を投げかけています。まだ観ていないのであれば、ぜひとも自分の目で本編を見て、自分自身で感じていただきたいです。

さて物語の舞台は、長野県の諏訪湖の近くにある小さな町。全編にわたってこの町が舞台なので、閉塞感が強く、逃げ場がないように感じられます。また劇中では、諏訪湖を一面に映したカットが何度か差し込まれますが、その風景は美しいながら、謎の不気味さを醸し出していました。

草むらを歩く一人の子供。近くでは火事が起きている。勢いよく燃える建物。赤い文字で「怪物」と表示される。坂本さんが書き下ろした『Monster 1』が流れ出す。こうした冒頭から既に不穏な雰囲気が漂っており、その不穏さは最後まで途切れません。

本編において劇伴は要所要所で使われているだけで、様々な生活音が際立って聞こえてくるのが印象的でした。そのため映画館のような、音に集中できる環境で鑑賞するのがオススメです。

緻密に計算された三部構成

本作の大きな特徴が、同じ時間軸の話を3人の異なる視点で捉え直す構成。これによって多面的な真実が、段階的に浮かび上がっていきます。『初恋の悪魔』(2022)をはじめ、人物の視点の切り替えによって物語を推進させてきた、坂元さんの一つの作家性と言えます。

第1部は、シングルマザー・麦野早織の視点。息子・湊に対する担任教師の暴力を学校に問いただすも、教師たちの杓子定規的な対応に怒りを募らせる。事態が好転しない中、とある台風の日、湊が家から姿を消した。息子への心配ゆえに取り乱す安藤サクラさんの演技は圧巻でした。

第2部は、担任教師・保利道敏の視点。第1部で早織に感情移入して物語を追っていると、彼も学校側の事情に巻き込まれた被害者の一人である真実を知り、ハッとさせられます。また同時に、正義を盾にした早織の狂気的な言動に気づかされました。

一見すると何の問題もない先生に思える保利。しかしながら彼の言動の端々には、無神経さやマチズモが滲み出ていました。生徒に気さくに接しているつもりでしょうが、自身の言葉が他人を傷つける可能性にまで意識が向いていないのです。気持ち悪さすら感じられる永山瑛太さんの表情が絶妙でした。

また第1部の時点では、学校でのいじめ問題が話の中心だと思って観ていましたが、どうやら映画の主題は別にあることが徐々に示されます。複数のジャンルを横断するさまは、『カルテット』(2017)のようでもあります。

子供たちの「言葉」を読み取った保利は、姿を消した湊たちを探しに行く。この展開の中で天窓を映したカットがあるのですが、この描写がとても美しく、星空を見ているような感覚に陥りました。

映画後半を占める第3部は、黒川想矢さん演じる湊の視点。柊木陽太さん演じるクラスメイトの星川依里との関係性がじっくりと語られており、子供視点の徹底ぶりは『誰も知らない』(2004)を彷彿とさせます。小学校における同調圧力やいじめのシーンが、観ていて本当につらかった。

日常という名の地獄。この感覚は、同じく近藤龍人さんが撮影を担当した映画『桐島、部活やめるってよ』(2012)を連想しました。同作の舞台が高校だったのに対し、今作は小学校。高校生よりも幼く無知だからこそ、言葉の暴力性がより剥き出しの状態で伝わってきました。

対照的に湊と依里の会話は、心の底から楽しそう。そのため映画を観ながら、二人が一緒にいられる世界がずっと続いてほしい、と願っていました。そんな彼らが迎える結末は、頭の中にずっと残り続けるインパクトがありました。

第3部のキモは、それまでに散りばめられたミステリー的要素の見事な伏線回収。子供たちの服装や文字の書き方、楽器の音にいたるまで、あらゆる台詞や小道具に意味が込められています。

なのに演出が自然で、決してわざとらしくないのが素晴らしい。数年かけてブラッシュアップした脚本の妙です。一秒たりとも見逃せないので、観終わった後はグッタリしました。

ただしこの映画は、決定的な描写が省かれている作品でもあります。劇中で語られる火事や交通事故の犯人は、全て憶測でしかありません。それらが真実であるかのように語られていくさまは、私たち人間が、無意識のうちに他人にレッテルを貼っていることの表れではないでしょうか。

題材に即した演出の変化

今年5月に行われたカンヌ国際映画祭で、この映画はクィア・パルム賞に輝きました。2010年に創設されたこの賞は、LGBTやクィアを扱った作品に与えられます。この受賞から推測できるとおり、今作は性的マイノリティを扱っています。

しかし劇中では、登場人物の性的なアイデンティティに関する直接的な言及は、出来るだけ避けられています。理由としては、彼らが子供から大人へ成長する過程にあり、自らの性について自認する前の段階にいるからだと思いました。

本作の製作にあたって、保健体育の先生を招いて子供たちと一緒に授業を受けたり、『大奥(Season1)』(2023)などに参加するインティマシーコーディネーターの浅田智穂さんや、LGBTQの子供たちを支援する団体「Rebit」の藥師実芳さんにアドバイスを貰ったりしたのだそう(※2)。この題材への真摯な姿勢が伺えます。

※2:『怪物』是枝裕和監督インタビュー。性的マイノリティの子どもたちというテーマにどう向き合ったのか | CINRA参照

台本ではなく口伝えで台詞を伝えて、子供を演出するスタイルが多い是枝監督ですが、「今回二人の少年たちが抱えている内的な葛藤も含めて、なかなか本人の個性をそのままというわけにも行かないと思って」おり、「自分の存在の外側に、きちんと二人の少年の役作りというものをやってみ」た、と語ります(※1)。

湊役の黒川想矢さんと依里役の柊木陽太さんは、どちらも映画初出演。柊木さんは『岸辺露伴は動かない(第3期)』(2022)のジャンケン小僧で認識している人もいるでしょう。是枝監督の手腕も相まって、二人とも実在感が溢れており、彼らの佇まいと演技にグイグイと引き込まれていきました。

他の子供たちも素晴らしく、特に驚かされたのが、湊の隣の席に座っている女の子。クラスに一人はいるような雰囲気があり、少しミステリアスで独特な存在感を放っていました。

大人キャストの演技は言わずもがな。田中裕子さん演じる校長は、得体の知れない不気味さがあって良かった。教頭役の角田晃広さんや、依里の父親役の中村獅童さんも、それぞれ最悪な大人を演じ切っていて最高でした。

ストーリーは開放感あふれるラストで幕を締めますが、残念ながら問題自体は何も改善していません。綺麗事だけではない現代社会における複雑な問題を、複雑なまま観客に届ける是枝作品らしさがこの場面に集約されていました。

鑑賞後、私たちが行っているコミュニケーションや、何気なく交わす目線にも、相手を傷付ける可能性を孕んでいることに気づかされます。自分が見ている世界と、他人が見ている世界は同じではありません。そのため勝手に他人を決めつけ、分かった気になってはいけないのです。

「〜〜な男はモテない」などの旧来的なジェンダー観、価値観がアップデートされないバラエティ番組、「ノリわる星人」が示す同調圧力、ひとり親家庭や虐待といった子育てにおける諸問題、加害者への踏み込んだ報道など、様々なテーマを内包している『怪物』。ぜひ多くの人に観て、何かしら感じていただきたいです。

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最後に

視点が変わるからこそ、二回観ると見方が変わるのは間違いありません。ハードな内容ではあるものの、何度も観たくなる。そんな味わい深い映画です。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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