タイトルの持つ意味の重さを知ったとき、ハッとさせられます。
作品情報
2016年に発表された塩田武士の同名ミステリー小説の映画化。30年以上前に発生した未解決事件の真相を追う2人の主人公を、小栗旬と星野源が演じる。監督を務めるのは、『映画 ビリギャル』やドラマ『コウノドリ』シリーズを手掛けた土井裕泰。『アイアムアヒーロー』やドラマ『MIU404』の野木亜紀子が脚本を担当する。
原作: 塩田武士
出演: 小栗旬 / 星野源 / 松重豊 / 古舘寛治 / 宇野祥平 ほか
監督: 土井裕泰
脚本: 野木亜紀子
公開: 2020/10/30
上映時間: 142分
あらすじ
平成が終わろうとしている頃、新聞記者の阿久津英士は、昭和最大の未解決事件を追う特別企画班に選ばれ、30年以上前の事件の真相を求めて、残された証拠をもとに取材を重ねる日々を送っていた。その事件では犯行グループが脅迫テープに3人の子どもの声を使用しており、阿久津はそのことがどうしても気になっていた。一方、京都でテーラーを営む曽根俊也は、父の遺品の中にカセットテープを見つける。なんとなく気になりテープを再生してみると、幼いころの自分の声が聞こえてくる。そしてその声は、30年以上前に複数の企業を脅迫して日本中を震撼させた、昭和最大の未解決人で犯行グループが使用した脅迫テープの声と同じものだった。
罪の声 : 作品情報 – 映画.comより引用
レビュー
このレビューは作品のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
史実に基づいたサスペンス
この物語のモチーフとなっているのは「グリコ・森永事件」。1984年から翌年にかけて関西地方で発生した、一連の企業脅迫事件を指す。江崎グリコや森永製菓をはじめ、食品企業が次々と脅迫を受けた。報道機関に脅迫状を送り付けたり、青酸入りの菓子を店頭に置いたりする手口を使った犯人は、連日のように社会を騒がせた。劇場型犯罪の先駆け的存在として犯罪史に名を残している。犯人は逮捕されないまま、2000年に時効を迎え、昭和最大の未解決事件と言われるにいたる。
本作で描かれる事件の名称は「ギンガ・萬堂事件」(以下、ギン萬事件)。登場人物や事件の名前は架空ながら、各事件の発生日時や手段、報道は史実を忠実に再現している。原作小説の著者である塩田武士さんが、長年温めていた企画を満を持して小説に著したことからも、作品への本気度が伺えます。
まず注目すべきは、タイトルが出るまでの冒頭の場面。星野源さん演じる京都のテーラー・曽根俊也の過去と現在を映し出すところから物語は始まる。彼の両親や妻子、仕事について説明台詞に頼ることなく、無駄なく丁寧に描写しています。たった数分間の冒頭映像から、彼の人柄の良さと家族との仲の良さが伝わってきます。しかしながら彼が亡き父の残した荷物を発見するところから、どこか不穏な雰囲気が流れはじめる。
俊也が発見したのは「1984」というタイトルのカセットテープと、英文がびっしりと書かれたメモ帳。カセットテープを再生して最初は、幼き頃の自分と父親の何気ないやり取りが聞こえてきます。その会話を上書きするように、記憶にない自分の「声」が唐突に流れる。不審に思ってネットで調べてみると、ギン萬事件で子供の声が事件に使われていたことを知る。事件で使用された音声を再生すると、テープの音声と一緒だった。映像の恐怖感が増幅しきったところで、ブラックアウトしてタイトルが映し出される。『罪の声』の意味がここで明らかになり、観客を一気に引き込んでいきます。
その後に登場するのが、本作のもう一人の主人公である、小栗旬さん演じる阿久津英士。新聞社の文化部に属する記者である彼が、ある日ギン萬事件を追うように命じられる。死者が出ているわけではないのに今更追っかける必要があるのか。そういった低めのテンションで事件に関わっていく阿久津。この気持ちに感情移入して鑑賞していると、後半の展開でひっくり返されることになります。
彼のナレーションによって、事件の概要が丁寧に説明される。そのためグリコ・森永事件について一切知らなくても、映画を楽しめます。もちろん実際の事件についての知識があると、事件の再現度を体感できると思います。私は鑑賞後にはじめて事件について調べましたが、物語と史実の一致具合に驚きました。
被害を受けた者たちの想い
阿久津の取材と俊也の聞き込みが、ギン萬事件の謎と闇を徐々に暴き出していく。グリコ・森永事件の犯人組織の名前は「かい人21面相」。今作では「くら魔天狗」という名前に変更されています。犯人の狙いは株価操作が有力だと考えられており、阿久津はその観点から取材を始めていく。企業の株価を暴落させることで利益を得る株価操作説は、実際の事件でも犯人像の一つとして有力視されていました。
一方で俊也は、知らぬ間に犯罪に加担していたことが判明し、身内から辿って聞き込みをしていく。このまま事件の真相を探っていって良いのか。自分には妻と娘がいて、二人の人生が脅かされるのではないだろうか。聞き込みをする中で、そのように考えるようになり、事件を調べるのをやめようとします。最初に阿久津が俊也の元を訪ねたときも、阿久津を突っぱねてしまう。そんな彼が事件の真相を突き止める決心をするきっかけとなるエピソードが中盤にあります。犯罪組織の一人・生島秀樹の二人の子どもの存在が、当時の同級生によって伝えられます。このシーン、泣きながら告白する演者さんの熱演にもらい泣きしてしまいました。
俊也と同じように事件に声を使われた二人の子ども、望と聡一郎。彼らの行方を知りたい。その思いに駆られた阿久津と俊也は、ともに事件の捜査を進めるが、たどり着いた真相は衝撃のものでした。衝撃性が最も表れているカットが、大人になった現在の聡一郎が最初に映し出される場面。この場面はぜひ見ていただきたい。思わず目をそむけたくなる彼の行動やたたずまい。これまで言葉でしか伝えられなかった事件の悲劇性が、この姿によって初めて映像として観客に伝わってきます。演じている宇野祥平さんの演技力に脱帽です。
姉弟の生涯を明らかにする聡一郎の独白は、本当につらい。事件が発生して間もなく亡くなっていた望と、彼女が亡くなったことに対する自責の念を背負い続けていた聡一郎。望は翻訳家になりたいという夢を明確に抱いていました。彼女の夢が「罪の声」によって無情に奪われていく。運命に抗おうと、最後まで夢を諦めず行動に移していく様子は、とても勇敢に映りました。
彼らとは対照的に、俊也は事件のことを知らずに罪の意識を追わずに幸せな生活を送っていました。別々の人生を歩んだ3人の子どもは、「運命」に決して抗うことはできなかったのです。そして聡一郎の人生を聞いたあと、俊也は「自分はこんな幸せを手にしてよかったのか」と悩みます。彼らの真実を知ったところで、過去を変えることはできないんだなあ、というやりきれない思いになりました。
本作は全編を通して会話劇が繰り広げられます。派手なカーチェイスやアクションシーンがあるわけではありません。なのに2時間半の上映時間があっという間に過ぎていく。これは演者の演技力と、観客を引き込む脚本のつくりにあると思います。共演する俳優一人ひとりが渋い。観客を飽きさせない重厚な演技でした。
昭和、平成、そして令和へ
事件の背景にあったのは、1960年代から70年代にかけて加熱した学生運動。社会を変えようとして敗れた若者たちの思想が、この事件を引き起こす原動力になっていたことが明らかになります。この物語は、その時代や学生運動が100%悪というふうに描いてはいません。むしろ俊也の母親や、伯父の達雄といった、過去にとらわれた生き方を悪として描いています。
このメッセージの象徴として、俊也の扱っているスーツがブリティッシュスタイルである点が挙げられます。ブリティッシュスタイルは、劇中にて「流行り廃りにとらわれない」と言及されます。一方、事件を首謀した達雄はイギリスのヨークに住んでいる。阿久津に「1984年に生きている」と揶揄されるほどに、過去に執着して生きていました。同じイギリスが関係していながら、2人が対比的な結末を迎えているのは、意図的に思えてなりません。
声を使われた子どもたち3人の人生を語り、俊也と聡一郎の開けたラストによって、過去を変えることはできない人生の不可逆性と、過去を受け入れて今を生きることの大切さを伝えています。同時に、矜持を失った男がそれを取り戻すまでの物語でもあります。阿久津も今をただ惰性に生きるのではなく、一所懸命に生きていく道を「選んだ」点からも、今を生きる意味を汲み取れます。
そして忘れてはならないのが、この物語を平成から令和への移り変わりに重ね合わせている点です。このポイントは、原作から改変されている映画オリジナルの要素。この改変が本当に素晴らしい。映画の最後で事件が解決したあと、令和の時代に移り変わります。原作では、時代を通して受け継いでいくもの、そして対照的に断ち切るものを描いていました。映画化ではこの改変によって、原作の伝えたかったメッセージが、より強調されています。
SNSを日常的に使っている私たち。物事を暴いたり広めていたりすることによる、誹謗中傷などの恐怖は、昔よりも格段に強くなっています。報道の意義について改めて考えさせられる映画でした。まさに今映画化される意義のある作品であり、今観るべき作品です。
最後に
これぞ映画といえるような、重厚な内容の邦画です。実際の事件について知らなくても観られるので、この映画は幅広い層が楽しめる作品。ぜひ観ていただきたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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