『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』感想:インパクトに縛られた人々の解放

(C)カラー

25年の時を経て再び完結を迎えた「エヴァンゲリオン」。おめでとう、そしてさようなら。

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作品情報

1995~96年に放送されたテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』。そのリメイクとして2007年から開始した『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズの4作目にして完結編。企画・総監督・脚本を務めるのは庵野秀明。

原作: 庵野秀明
出演: 緒方恵美 / 林原めぐみ / 宮村優子 / 坂本真綾 / 三石琴乃 ほか
監督: 庵野秀明(総監督) / 鶴巻和哉 / 中山勝一 / 前田真宏
脚本: 庵野秀明
公開: 2021/03/08
上映時間: 154分

あらすじ

全てに決着を付ける為、出撃するミサトとヴィレクルー。
全てに決着を付ける為、満身創痍のエヴァを駆るアスカとマリ。
全てに決着を付ける為、父ゲンドウと対峙する碇シンジ。
そして、シンジは決断する。
さらば、全てのエヴァンゲリオン。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』『Q :3.333』版予告・改2【公式】 – YouTubeより引用
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レビュー

このレビューは作品のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

『新世紀エヴァンゲリオン』歴史の転換点

1995年。それは日本にとって怒涛の年でした。都市直下型の大地震である阪神・淡路大震災が1月に発生。3月には大規模な無差別テロ・地下鉄サリン事件が勃発。どちらも日本社会に大きなインパクトを与えた出来事です。

さらにバブル崩壊による不景気の影響で、就職氷河期が到来。社会が混迷を続ける中で製作されたのが『新世紀エヴァンゲリオン』です。同年10月から毎週水曜の夕方に放送されました。

エヴァンゲリオン、略してエヴァ。作品を見たことが無くても、その存在を知らない人はいないと言えるまでに有名です。なぜこれほど有名になったのか。その要因は本作がアニメ界にもたらした、いくつもの革新的要素にありました。

スタイリッシュな映像と音楽

映像作家としていまや世界的に名が知られている庵野秀明監督。エヴァ以前は『超時空要塞マクロス』(1982-83)や『風の谷のナウシカ』(1984)などのアニメ作品に参加していました。

エヴァは彼の作家性が如実に表れている作品と言えます。まず全編通して印象強いのが、細かく描き込まれたメカニック描写や、特撮的なアクションシーンです。幼い頃からロボットや特撮の大ファンであった監督。作品への愛と尊敬に溢れた作画からは、凄まじい迫力が感じられます。

また人物や風景を捉えるアングルには、オリジナリティがあります。文章化するのが難しくもどかしいのですが、ありきたりではない構図は彼自身の世界観や語り口を象徴しているようです。

同じように編集にも独特さが伺えます。シーンの余韻を残さずに次の映像に切り替える、ブツ切りのような編集が随所にあり、スピード感を意識している印象を受けました。

使用されている音楽もスタイリッシュなものが多いです。今でもカラオケの定番曲である『残酷な天使のテーゼ』。各話ごとに異なるアレンジがなされたエンディング曲『FLY ME TO THE MOON』。そして次回予告のBGMをはじめとしたサウンドトラック。一つ一つがオシャレでカッコいい。

「エヴァといえば」を形作っている代名詞的なものの一つ、それは明朝体です。『犬神家の一族』(1976)をはじめとした市川崑作品から影響を受けているこの書体。特徴的なサブタイトルや劇中テロップは、視聴者に強烈なイメージを植え付けているでしょう。

上述した様々な要素が組み合わさることで、それまで誰も観たことのないアニメが出来上がりました。

キャラクターの心情描写

このテレビシリーズ、物語の流れ自体はいたってシンプル。主人公たち中学生が、人型兵器「エヴァンゲリオン」に乗って、使徒と呼ばれる敵と戦うお話。

そんな話を後世に名を残すまでに魅力的にしているのは、登場人物の心情表現です。

主人公・碇シンジは幼少期に母親を失っており、それ以来、父であるゲンドウとは離れて暮らしていました。使徒との戦いに備えて、ゲンドウはエヴァのパイロットとしてシンジを呼び出します。こうして再会した親子の間にある埋まらない溝が終始痛々しく、そして生々しく描かれています。

ヒロインの一人である惣流・アスカ・ラングレーもまた、特殊な家庭事情を抱えていました。彼女の母親は、人形のことを実の娘と思い込むまでに、精神的に追い詰められていたことが終盤に明らかになります。こうした過去によって、承認欲求の高い性格が形作られた可能性は高いです。

話を追うごとに色濃くなっていく精神的追い込み。その様子を映し出す映像表現は、他のテレビアニメには見られない斬新な展開です。

考察を生み出す余白

前述したように話の流れは単純明快であるものの、台詞に出てくる単語は難解なものばかり。

例えば、

  • 死海文書
  • ロンギヌスの槍
  • 生命の樹
  • ガフの部屋

聖書や神話に由来するこれらの用語は、知っていて当たり前の言葉として劇中に登場します。最後まで明確に説明されない単語もあり、私自身も最後まで見ましたが完全に理解できませんでした。

しかしファンというのは、考察したくなる生き物。示唆的なサブタイトルやオープニング映像などを材料にして、ネット上でさまざまな考察が生まれたり、書籍が出版されたりしました。一から十まで設定を解説しないことで、考察する余地を与えたとも言えます。

もちろん、私のように全てを理解せずとも十分に楽しめる作品になっているのが、このアニメの素晴らしい点だと思います。

オリジナリティあふれる映像、エグい心情描写、そして奥深い設定。このように要素が盛りだくさんの30分。放送開始後からアニメファンの間で人気が加熱していったのも納得です。

『劇場版 シト新生』露呈した製作の苦労

作品の人気が高まるとともに、どのような最終回を迎えるのか注目を集めていきました。そういった中で製作された第弐拾伍話「終わる世界」と最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」。このラスト2話は視聴者の度肝を抜いた展開を見せました。

渚カヲルを自身の手で殺めたシンジが、葛藤を克服する様子が描かれました。つまりシンジの内面世界の話なのです。心情描写のみで、物語的な結末は語られませんでした。ある意味でエヴァの根幹の話とも言えますが、使徒との対決の結末を知りたかったファンは困惑。大きな話題を呼びました。

最終回が波紋を呼んだこともあり、一般層からも人気を集めていく中で、完全新作の劇場版が製作されることが発表されました。そして1997年春『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』が公開されます。

「シト新生(死と新生)」という名の通り「DEATH」と「REBIRTH」の二編に分かれていました。上映時間の約3分の2を占める「DEATH」は、実質的な総集編。テレビ本編の時系列をシャッフルし、登場人物一人一人に順番にフォーカスを当てる構成でした。

残りの3分の1が、完全新作となる「REBIRTH」。最後の使徒を倒した第弐重四話のつづきです。ゲンドウが上層組織ゼーレの意向に逆らったことで、エヴァの活動拠点であるネルフ本部は襲撃を受ける。この時点で世界の終末感がひしひしと伝わってきて辛いです。

それまで廃人同然だったアスカが覚醒し、ゼーレが差し向けた複数のエヴァ量産機を相手に無双します。このあとシンジもエヴァに乗って戦うのか。気になるところでエンディングになります。

そう、この映画では完結しませんでした。完成が間に合わなかったのです。

製作状況がギリギリだったことはテレビシリーズからも伺えます。作品後半に数十秒間も静止画のカットがあったり、次回予告に本編映像が使われなくなったり、スケジュールに明らかに無理が生じていたことが分かります。この劇場版でも似たようなことが想像できます。

『劇場版 Air/まごころを、君に』予想を超える結末

実質的な延期を経て完成した劇場版。その名も『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』。同年夏に公開されたこの作品は、第25話「Air」と第26話「まごころを、君に」の二話構成で展開されます。

「REBIRTH」で覚醒したアスカでしたが、その後エヴァ量産機に容赦なく反撃されます。弐号機の無残な亡骸を見たシンジは絶望。それが引き金となって人類補完計画が発動します。すべての生命がLCLという液体に還元されていきます。

人類補完計画の過程も、シンジの心情吐露がメインになっています。ナレーション上で彼の自己問答が繰り返されます。映し出されるのは、大学時代のミサトの性行為や、アスカとの喧嘩といった壮絶なシーン。

さらに観客の困惑を加速させるのが、多様すぎる表現技法。クレヨン、デジタル絵、CGといったアニメーション表現だけにとどまらず、実写の風景、実際の映画館を映した映像、そして庵野監督へのネットの誹謗中傷などが用いられます。テレビシリーズよりも斬新な映像表現が多々見られました。

問答の末に他人との共存を望んだシンジ。しかしLCLから戻ったアスカを見て、他人を恐れる気持ちが勝ってしまい、寝ている彼女の首を絞めます。目を覚ました彼女から「気持ち悪い」と罵倒されたところで映画は終わります。

トラウマ的なエヴァ量産機のグロさや、尖りまくった映像表現、バッドエンドと思えるラストから、本作の評価は分かれました。賛否両論を集めた劇場版ですが、細部にまで宿るこだわりは国内外のクリエイターに大きな影響を与え、後世に多くのフォロワーを生み出しました。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』自らリビルドする試み

衝撃的な結末から10年の時を経て、リメイク企画が始動。当初から4部作として構想されていました。以下、テレビシリーズの劇場版2作を「旧劇」、このリメイクを「新劇」と呼称します。

2007年に公開された1作目『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』。テレビシリーズの第壱話から第六話の流れを忠実になぞりました。しかしながら水が赤いなど、元のストーリーとは異なるフック的な要素が盛り込まれています。そのため映像の綺麗さの中に、どこか不穏さが感じられます。

2作目の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009)によって、このシリーズがテレビ本編とは異なるストーリーに舵を切ることが明確になります。

  • 真希波・マリ・イラストリアスという新パイロットの登場
  • アスカの苗字が「惣流」から「式波」に変わっており、性格も微妙に異なる
  • 鈴原トウジがパイロットに選出されない

などのように様々な変更点があったものの、第9使徒や第10使徒との戦闘の映像美や、新鮮なストーリーから高評価は多く、次作への期待は高まりました。

3作目『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012)では、いきなり前作から14年後に舞台が移ります。『:破』のラストでシンジが起こしたニアサードインパクト。それにより大きく変化した世界を、長い眠りから覚めた彼が目の当たりするところから物語は始まります。

矢継ぎ早に出てくる新キャラクターと新設定。宇宙を舞台にした人間同士の対立。『:破』放映時に流れた予告から逸脱した内容から、多くの批判的意見がネット上に溢れました。それを受けて庵野監督はしばらくの間、完結編の製作を中止してしまいます。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』庵野秀明スペシャル(2021)にて、監督は「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」と話されていました。当時の『:Q』に対する批判こそ、説明不足な作品が好まれない世の中を象徴しているのでないでしょうか。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』明かされる真実

2021年3月、新型コロナウイルス感染拡大による二度の公開延期を経て、ついに完結編が封切りを迎えました。前作から9年空いていることもあり、「これまでのヱヴァンゲリヲン新劇場版」という3分41秒のあらすじが最初に流れます。

本編は大きく4パートに分かれています。Aパートは、シンジ・レイ・アスカがたどり着いた第三村での生活を描きます。第三村とは、支援組織KREDITによって、かつての生態系を人工的に取り戻した区域のこと。農業を主幹産業としており、エヴァという近未来な世界観とのミスマッチ具合が面白いです。

『:Q』では、ニアサードインパクトのもたらした悲惨な結果が、組織の人間側から描かれていました。対照的に今作では、ニアサードの影響が市井の視点で語られます

前作には出てこなかった、エヴァの戦いには関わらない一般人。シンジの同級生トウジ・ケンスケ・ヒカリもその中に含まれます。14年経ち大人になった彼らが登場します。その姿を見たときエヴァ自体のシリーズの長さを感じ、この時点で感動を覚えました。

絶望の淵に立っていたシンジが、旧友や仲間の優しさに触れることで立ち直っていく。そして自身の責任を果たすため、戦場に戻る覚悟を決める。その過程をゆっくり丁寧に描写していきます。

そして前半パートでは、新劇で謎とされていたことが次々と明らかになります。式波アスカがレイ同様にクローンであること。ヴンダーが、加持リョウジによって地球の種の保存を目的にして作られた機体であること。長年の謎の答え合わせができて嬉しい人もいたのではないでしょうか。

旧劇場版へ与えられた救済

シンジとアスカがヴンダーへと戻り、フォースインパクトを企むネルフ本部へ襲撃するヤマト作戦が決行されます。

本作のアクション的ケレン味が集約されているのが、この戦闘シーン。今まで観たことない映像表現に、見惚れてしまいました。例えば、改8号機と新2号機がネルフによって差し向けられた大量のMark.07を相手にする場面。グルグル回る立体的なカメラワークは爽快そのもの。

第三村パートでも、アスカがシンジにレーションを無理やり食べさせる場面で、グルグルしたカメラワークが使われていました。過去作には見られないヌルヌル動く映像には、驚きとともに没入感があります。

音楽面では二つの挿入歌が印象的に使われています。一つはクリスマスに歌われる讃美歌『もろびとこぞりて』。もう一つは松任谷由実の『VOYAGER〜日付のない墓標』。『:破』の第9使徒戦に似た相いれない映像と音楽のコントラストは、まさにエヴァでしか見られない特別な体験だと思います。

シンジを依代にしてアディショナルインパクトが始まります。旧劇でも発動された人類補完計画です。旧劇と同じく、線画や絵コンテ、3D映像、実写映像といった多様な技法で描かれます。

しかし旧劇と異なるのは、補完計画中に行われるのが、精神世界でのゲンドウとシンジの対話であること。マイナス宇宙という内面世界で、互いに拒絶していた者同士の対話がようやくなされます。マイナス宇宙は、二人の記憶が反映された仮想空間であり、ミサトの家や中学校の教室などへと変化していきます。

シンジの責任と覚悟によって、過去のシリーズで最悪な最期を迎えた登場人物への救済が描かれます。その語り口はテンポよく鮮やかで、これまで過去作を観てきたファンへの贈り物のようなつくりになっています。

  • リツコ:『Air』ではゲンドウへ銃を向けるが、彼を撃つことはできず殺されてしまう。今回は彼を撃つことができた。旧劇の報復ができたようで良かった。
  • ミサト:『Air』そして『:破』第10使徒戦のときにシンジに言えなかった「いってらっしゃい」。ようやく今回その言葉を言えた。リョウジとの間に生まれた子どもとシンジ。二人の「母親」になれたようで良かった。
  • アスカ:『まごごろを、君に』ラストの赤い浜辺が、マイナス宇宙で登場。旧劇でシンジが首を絞めたあの砂浜です。大人の姿になり服もボロボロになったアスカに対して、彼は今回「好きと言ってくれてありがとう」と伝えます。あの時かなわなかった和解ができた場面だと思われます。
  • カヲル:第弐拾四話「最後のシ者」の夕焼けが、マイナス宇宙で登場。この世界が何度もループしており、カヲルだけがそのことを認知していたことがこの場面で明らかになります。終わりのないループの中にいた彼を、シンジは救い出しました。
  • レイ:第弐拾伍話・最終話のスタジオセットやゲームコントローラが、マイナス宇宙で登場。ニアサード以降、生死が不明でしたが、長髪姿になってシンジの前に現れました。中盤の台詞「髪が伸びるのは生きている証」が示すように、あの時シンジはしっかりと彼女を救えていました。
  • ゲンドウ:シンジと会話する中で、自身の弱さとはじめて向き合います。そこで妻・ユイがいない現実を受け入れることができました。元々ユイに会うことを目的としていたため、自らの手でインパクトを続行することを諦めます。
  • シンジ:旧劇では「誰か僕に優しくしてよ」と言い、他人を拒絶ばかりしていました。今作では、周囲からの優しさに実際に触れたことで、他者と関わり他者を愛することの尊さを知りました。彼自身の心もまた救われていたのです。まさかシンジから「落とし前」という言葉を聞けるとは。

「シン・エヴァ」である必然性

全く異なる結末を迎えた旧劇と新劇。その間に起きた様々な出来事が、この結末に影響していると考えられます。個人的には二つの出来事に大きく影響を受けているのではないかと思いました。

まず挙げるのは、2011年に発生した東日本大震災。一説では『:Q』のシナリオは、震災後に変更されたと噂されています(※1)。この説で言われている『:Q』のDパートに挿入されるはずだったものは、「シン・エヴァ」のAパートと考えることができます。

※1:庵野秀明と終わらない90年代。『シン・ゴジラ』を経てたどり着いた『旧エヴァ』という爆心地参照

というのも、ニアサード後の世界を生き抜く第三村の人々は、被災地の復興を思い起こさせます。震災から1年後にこの様子を描くことに対して、何か思うところがあったのかもしれません。

庵野監督の実写映画『シン・ゴジラ』(2016)からも、いかに震災が彼に多大な影響を与えたかが伺えます。原爆投下からわずか9年後に作られた『ゴジラ』(1954)。原子力の恐ろしさを具現化したゴジラを、福島原発事故発生から5年後に蘇らせました。それにより元の作品が持つ強烈なメッセージを、改めて現代の観客に伝えました。

今後公開が予定されている『シン・ウルトラマン』や『シン・仮面ライダー』。庵野監督が製作に携わるこれらの作品にも「シン・」という冠がついています。ゴジラ同様、原作の持つテーマやメッセージを現代的に語り直した内容であることが予想されています。

タイトルの共通点を踏まえると「シン・エヴァンゲリオン」は、エヴァの物語を語り直していると言えます。上述したようにテレビシリーズ、旧劇、そして序・破・Qを包括した内容である今作。自らの手で再び「エヴァンゲリオン」を作り上げることで生まれたことが分かります。

新劇に影響を与えたもう一つの大きな出来事は、監督自身の結婚ではないでしょうか。2002年に漫画家の安野モヨコさんとご結婚されました。『プロフェッショナル』のインタビューを見ると、2012年の『:Q』公開後に精神状態が芳しくなかった際、彼女の支えがあったからこそ、今の監督があると思わされます。

今回の新劇場版ではシンジとマリが結ばれます。「どこにいても必ず迎えに行く」というマリの台詞からは、マリという新キャラは安野さんを投影した存在であると考えられます。これはあくまで個人的な解釈に過ぎませんが、彼女が監督にとってどれほど大切な存在になっていたかが伝わってくるラストに思いました。

シンジが創造した新しい世界で、ようやくエヴァの呪縛から解かれ、大人になったチルドレンたち。首にはめられたDSSチョーカーが外されるとともに、アニメから実写へと変わる背景。シンジとマリが、監督のふるさと・宇部を駆け出す。25年間紡いできた物語のカタルシスが、このシークエンスに詰まっていると言っても過言ではありません。

タイトルについている「𝄇」。反復や、反復の終了を意味する音楽記号です。今回明かされた世界のループ。作中ではカヲルだけがそのループを認知していました。

テレビシリーズのサブタイトルと新劇のタイトルが、劇中で一瞬だけ画面に映ります。これはカヲルと同じように私たちも、旧劇や新劇を通して同じ物語を反復して観ていることを意味していると捉えられます。

この場面でシンジは、エヴァのない世界「ネオンジェネシス」を創ることを決めました。そして歴代に登場したエヴァを、一つ残らず槍で打ち抜く。このシーンを観ることで、私たちが認識していた物語のループが、本作で終止符を打つことが提示されます。

エンドロール後、右下に出る「終劇」の二文字。キャラクターはもちろん、監督をはじめとしたスタッフ、そしてシリーズを観てきたファンが、終わりのないエヴァの「呪縛」から解放されたことを意味しています。

エヴァンゲリオンが完結した「新世紀」がようやくやってきたのです。

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最後に

圧倒的な映像美と見事な伏線回収。正直泣けるほどに高い完成度の作品だと思いました。

シリーズに一度でも触れたことがある人には観ていただきたい作品です。

最後まで読んでいただきありがとうございます!

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