『プロミシング・ヤング・ウーマン』感想:歪んだ現実へのリベンジ

(C)2019 PROMISING WOMAN, LLC / FOCUS FEATURES, LLC

私たちが向き合うべき現実が描かれた傑作。

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作品情報

俳優・脚本家として活躍するエメラルド・フェネルの長編映画監督デビュー作。性目的で近寄ってきた男性たちを悉く痛い目に合わせてきたキャシー。そんな彼女の最大の復讐劇が描かれる。第93回アカデミー賞では作品賞、監督賞などにノミネートされ、脚本賞を受賞した。

原題: Promising Young Woman
出演: キャリー・マリガン / ボー・バーナム ほか
監督: エメラルド・フェネル
脚本: エメラルド・フェネル
日本公開: 2021/07/16 (PG12)
上映時間: 113分

あらすじ

30歳を目前にしたキャシー(キャリー・マリガン)は、ある事件によって医大を中退し、今やカフェの店員として平凡な毎日を送っている。その一方、夜ごとバーで泥酔したフリをして、お持ち帰りオトコたちに裁きを下していた。ある日、大学時代のクラスメートで現在は小児科医となったライアン(ボー・バーナム)がカフェを訪れる。この偶然の再会こそが、キャシーに恋ごころを目覚めさせ、同時に地獄のような悪夢へと連れ戻すことになる……。

映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』公式サイト | 2021年7月16日(金)公開より引用
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レビュー

このレビューは作品のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

性暴力への復讐譚

本作の主演を務めるのは、『わたしを離さないで』(2010)や『華麗なるギャツビー』(2013)に出演するキャリー・マリガンさん。『17歳の肖像』(2009)以来となるアカデミー主演女優賞に、今作でノミネートされました。本編の演技からは、ノミネートも納得させるような力強さが感じられます。

彼女の力演によって作り上げられた、主人公・キャシー。過去に身の回りで発生した性暴力に対して、彼女が復讐を実行する。これが大まかなストーリーです。

おじさんたちが腰を振っている姿を、アップで映したショットから映画は始まります。なかなか見るに堪えないものでした。彼らが踊っていたバーの中に、キャシーもいました。自力で家に帰れるようには見えないほど、既にベロベロに酔っぱらっています。

そこで介抱を名目にした「お持ち帰り」を目的に、キャシーのもとに近寄ってくる一人の男性。一緒にバーを出て、部屋で二人きりになったところで、彼女は目を覚まします。いや、最初から全く酔っぱらっていませんでした。全ては、お持ち帰りする男性をおびき出すための演技でした。

そうして自分で仕掛けた罠にはめ、痛い目に合わせた人は数知れず。日々、愚かな男性たちに制裁を下しているキャシーの前に、大学の同級生であるライアンが現れます。彼との出会いは彼女に、大学時代の友人・ニーナが過去に受けた性被害を想起させました。

ニーナはあるパーティに参加した際、酔い潰れている間にレイプをされました。この事件をきっかけに彼女は大学を中退。後に自殺してしまうにまで至りました。それほどに彼女が追い込まれたのは、被害を訴えたにもかかわらず大学や弁護士によって黙殺されたからです。

そういった際に用いられる決まり文句が、「Because he is a promising young man(彼は前途有望なのだから)」。将来が約束されている男性なので、「これくらいのこと」で将来を棒に振るわせられない。だから被害については黙っていてくれ、と被害者女性に請うのです。

悲しい事に、こういった事件は現代でも完全に無くなっていないのは、皆さんもご存じでしょう。この映画は性被害の背景にある、男性から女性に対しての暴力性と、それを黙認する歪な社会構造を残酷に映し出しています。

タイトルである『Promising Young Woman(プロミシング・ヤング・ウーマン)』は、キャシーやニーナを指しています。二人は医大に通っており、医師としての明るい未来が約束されていました。しかしニーナは、「プロミシング・ヤング・マン」だった男性の一時の快楽のために、その人生を奪われてしまいました。

裁判を起こすことも叶わず、無念さを抱えたままこの世を去ったニーナ。キャシーも同様に、この事件をきっかけに医大を中退しており、やりきれない思いを抱えていることが伺えます。

キャシーは当時の事件関係者に対して、一人、また一人と復讐を実行していきます。注目すべきは、その手段が一般的に想像できる「報復」を大きく上回ってくる点。次々と倍返し、いや、十倍返しをしていくその姿はカッコよく、本当に痛快でした。

1人目のターゲットは、医大の同級生・マディソン。ニーナに被害を訴えられても相手にしませんでした。マディソンを食事に呼び出したキャシーは、薬で彼女を眠らせ、ホテルに置いていきます。浮気したかも、と疑念を持たせるのが目的。なかなか真相を伝えないのも、実に趣味が悪い。

2人目のターゲットは、ニーナの訴えをまともに取り合わなかった学部長。キャシーは学部長の娘を誘拐したと、半ば嘘をついて彼女を脅します。実際は近場のレストランに誘っていただけだったですが、学部長は相当のダメージを食らいました。

問題はまだ終わっていない

キャシーの復讐は止まりません。3人目のターゲットは、ニーナの訴えをもみ消した弁護士。前の二人と違ったのは、彼が当時の行いを非常に後悔していたところ。家を訪ねてきたキャシーに対して、彼はひざまずいて許しを請いました。そのため幸か不幸か、彼女の反撃は不発に終わります。

ここで終わりかと思いきや、キャシーはニーナがレイプをされている様子を実際に撮影した映像を目にします。そこでレイプをした張本人・アルが、最後のターゲットに選ばれます。医大を卒業した現在は医者をしていました。

近々結婚するアルは、独身最後のパーティを仲間たちと共に、盛大に開催しました。キャシーはストリッパーを装って、ナース姿でパーティに加わります。

アルと二人きりになったとき、ついに牙を剥く彼女。肉弾戦となると、がっちりした体格のアルに対して劣勢を強いられます。やがてキャシーの首を絞める彼。ニーナと同じく、キャシーも男の「力」の前に屈してしまうのか。部屋を引きで撮影したショットが、観客の心配を増長させます。

キャシーはやがて、完全に動きを止めます。事件は再び隠蔽されて、結末を迎えてしまうのか。煙が立ち込める草むらのシーンは、これまで蓄積された胸糞悪さのレベルが頂点に達しました。

こんな絶望的な状況から逆転するラストこそが、今作の白眉でしょう。ライアンの携帯に、キャシーからメッセージが届きます。そこに書かれていた言葉は、「これで終わったと思ってる?」。それが送られた直後、パーティに警察がやってきて、アルを逮捕します。そうしてニーナの事件は初めて明るみになりました。

ゆえにハッピーエンドにも捉えられますが、キャシーの死にはやりきれない思いを抱きました。こうでもしないと社会は振り向かないのだろうか。怒りや悲しみ、悔しさなど、いろいろな感情があふれ出すラストでした。

「これで終わったと思ってる?」には、現実社会に対してのメッセージも含んでいるように考えられます。アルは逮捕されたけど、それだけでは性被害の連鎖は「終わらない」。つまり物語が完結しても、性被害を生み出す根幹の問題が解決するわけではありません。

それでもこの作品は、声を上げて戦い続けることの重要性を伝えています。そしてそれは直接的な被害者と加害者だけの問題ではありません。大学の同期や学部長といった第三者も、もちろん被害者の声に耳を傾けるべきです。つまりこの問題には傍観者は存在しません。誰しもが当事者なのです。

社会的メッセージとエンタメの両立

上述したように社会に対して問題提起をしている骨太な本作。しかしながらポスタービジュアルだけ一見すれば、オシャレでポップなだけの映画かな、と勘違いしかねません。ポスターだけでなく、劇中で印象的に使われているビビッドなピンクも、ポップでガーリーでした。

そういった見た目上から汲み取れる「甘さ」とは対照的に、ヒリヒリとした痛烈なストーリーが展開される今作。劇中で引用している二つのポップソングは、それぞれ甘さと辛さを表現しているようでした。

物語中盤のドラッグストアの場面で流れるのは、パリス・ヒルトンさんの『Stars are Blind』。ライアンとキャシーの甘いラブロマンスを象徴しているようでした。この場面は画面のキラキラ感も相まって、映画全体で一番幸せな瞬間に映りました。

一方でブリトニー・スピアーズさんの『Toxic』は、何か怖いことが起こりそう、といった緊張感を煽ってきます。現実社会に対してのストーリーの有毒(Toxic)性を象徴しているように思いました。

サントラ以外にも、気が利いた小ネタ的な演出が見られます。キャシーの両親が観ている映画として、『狩人の夜』(1955)のワンシーンが引用されています。ノワール映画のクラシックとして知られている作品です。

大金持ちの未亡人が、キリスト教の伝道師を装った男性と結婚したことで、惨劇が巻き起こるという物語です。本作のストーリーとの共通点を鑑みると、この作品が引用された時点でラストの展開を仄めかしていたことが分かります。

他の小ネタとしては、映画が始まって最初に口にした食べ物であるホットドッグ。大きな口を開けて食らいつく姿は、男性たちに対して徹底的な敵意を表わしているように見えます。そして白い服についているのが、ケチャップなのか、それとも血なのか。それを曖昧にしている演出が、とても絶妙でした。

この映画は、社会に対する確固たるメッセージを入れ込みながら、きっちりエンターテインメントとしての面白さを兼ね備えています。そんな間口の広さが、作品の完成度から見て取れました。

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最後に

直球すぎるメッセージ、観ていて苦しい気持ちになること間違いなし。男性であれば、特に居心地悪く感じるのではないでしょうか。

しかしそのように、現実の私たちに強烈な印象を与えたり、思考を巡らせたりすることこそ、本作の意義のように思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます!

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