映画『約束のネバーランド』感想:ジャンプ実写化の好例に何を学んだのか

(C)白井カイウ・出水ぽすか/集英社 (C)2020 映画「約束のネバーランド」製作委員会

惜しい。原作を読むと、そう思わざるを得ませんでした。

スポンサーリンク

作品情報

2016年から『週刊少年ジャンプ』で連載された同名漫画の実写映画化。物語の始まりである「グレイス=フィールドハウス脱獄編」を映像化する。監督は『ROOKIES ー卒業ー』などを手掛けた平川雄一朗。『僕だけがいない街』で監督とタッグを組んだ、後藤法子が脚本を担当する。

原作: 白井カイウ / 出水ぽすか
出演: 浜辺美波 / 城桧吏 / 板垣李光人 / 渡辺直美 / 北川景子 ほか
監督: 平川雄一朗
脚本: 後藤法子
公開: 2020/12/18
上映時間: 119分

あらすじ

幸せに満ち溢れた楽園のような孤児院、「グレイス=フィールドハウス」。そこで暮らす孤児たちは、母親代わりでみんなから“ママ”と呼ばれている、イザベラ(北川景子)のもと、里親に引き取られる年齢になる日を待ちわびていた。エマ(浜辺美波)、レイ(城桧吏)、ノーマン(板垣李光人)の3人も、いつか外の世界で暮らすことで、より幸せな日々がやってくると信じていた。“その日”がくるまでは……。

STORY|映画『約束のネバーランド』公式サイトより引用
スポンサーリンク

レビュー

このレビューは作品のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

ジャンプ実写映画にみる実写化の要

『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(2015)、『鋼の錬金術師』(2017)、『ヲタクに恋は難しい』(2020)。こういった人気漫画を原作とする実写映画が多く作られるようになって久しくなりました。物語の面白さが保証されている、作品の知名度により集客が見込める、といった様々な事情が関係しているのでしょう。こういった映画の中には、元の作品と同様に長く愛される作品があると同時に、駄作や失敗作と呼ばれるような作品が多く存在するのが現状です。

どういった場合に実写化「失敗」の烙印が押されるのか探るため、「成功」とされている作品の持つ要素を考えます。ここでは『約束のネバーランド』(以下、約ネバ)と同じ『週刊少年ジャンプ』連載作品に対象を絞ってみます。

漫画の実写化としてまず外せないポイントは、原作の再現度。元には登場しない人物ばかりが出てきたり、物語が全然違かったりしたら、原作と謳う意味がないですよね。原作再現度の高い作品の例を挙げていきます。

一つ目の作品は『るろうに剣心』(2012)。公開予定を含めて5本が製作されている人気シリーズの第1作。原作の持つバトル漫画としての魅力を最大限に表現するため、アクションシーンにはCGや早回しを全く使っていないのが特徴です。

主人公・緋村剣心を演じる佐藤健さんをはじめとした俳優たちの身体能力や、アクション監督を務めた谷垣健治の技量があってこそ初めて可能になったのでしょう。そのおかげで本作は、一流アクション映画として遜色ない出来となっています。

もう一つ目は、福田雄一監督による『銀魂』(2017)です。製作発表時は、現実離れしたキャラクターのビジュアルや演技を懸念する否定意見がありました。そういった声を跳ね除けられたのは、俳優陣の体を張った演技により、キャラクターや世界観が再現されたからだと思います。

さらには福田作品特有のコメディ演出と、銀魂の笑いが上手く噛み合っていたことも大きな勝因でしょう。

俳優やスタッフと作品の親和性によって原作の再現度が担保されることが、この2作から明らかになりました。

そういった再現度の高さと同等に重要な要素として、アダプテーションが挙げられます。アダプテーションとは、

映画用語。原作となる小説や戯曲を,映画的に脚色ないしは潤色すること。テレビドラマの場合も同様である。

アダプテーションとは – コトバンクより引用

を指します。

漫画の実写化において、なぜ映画的な脚色が重要なのか。それは連載漫画という媒体自体が、映画とあまり相性が良くないからです。

連載が始まる際は、いつ連載が終わりになるか明確になっていないことがほとんどです。そのため長期作品であるほど、広げた風呂敷をたたむことは難しくなっていきます。

そういった作品を映画にするとなると、話の再構成をしたり、原作の途中までを描いて映画としての「結末」を用意したり、といった工夫が必要です。しかし同時に、原作の物語やキャラへの配慮も忘れてはいけません。漫画実写化が難しいと言われる所以は、このバランスのとり方の難しさにあると思います。

この難題を上手にクリアした好例の一つが、大根仁監督の『バクマン。』(2015)でしょう。漫画家としての成長やヒロインとの恋愛などを描いた原作は、全20巻にもわたります。いくらエピソードをまとめたところで、2時間の尺では駆け足になるのは目に見えています。

そこで主人公サイコーとシュージンの成長物語に焦点を絞り、他の要素を大幅に削っています。それにより単純明快なアツい物語に仕上がっています。原作の恋愛観をイマイチ飲み込めなかったこともあり、私はこの映画とても好きです。

山﨑賢人さん主演の『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』(2017)も、アダプテーションの工夫が見られる作品です。

独特な擬音が代名詞となっているジョジョ。実写ではその漫画的な特徴を排除しつつも、登場人物の口調や作品の雰囲気によって、原作の世界観が忠実に再現されています。思い切った改変から賛否両論ある作品ですが、個人的には好みです。

これらの作品のように漫画と実写映画が全く一緒である必要はなく、原作の独自性やメッセージがしっかりトレースされていることが重要なのです。

逆にここまで述べた要素を無視してしまうと、失敗に繋がってしまうのです。これは漫画に限ったことではなく、原作もの映画すべてに言えることです。では、約ネバはこの課題にどのようにチャレンジしたのでしょうか。

約ネバ実写の原作再現度

今回の映画について述べていく前に、原作に対する私自身の立場を明らかにしておく必要がありますね。私はこの漫画自体かなり好きで、既に最終巻まで読んでいました。物語を全く知らない立場の意見ではありませんが、出来るだけフラットな視点で考えてみます。

今作はコミックス1~5巻にあたる最初のエピソード「グレイス=フィールドハウス脱獄編」を映像化しています。子供たちが自身の暮らすハウスの真相を知り、脱獄を計画し、実行するというのが、おおまかなあらすじです。

このエピソードがもともと持っている魅力とは何か。天才同士の頭脳戦が魅力的なエピソードだと思います。天才食用児エマ・レイ・ノーマンが、いかにしてママ・イザベラの目をすり抜けて脱獄を計画・実行します。一つでもミスをしたら終わりと思わせる緊張感は、脱獄編でしか見受けられない特徴でしょう。

また不気味で謎の多い世界観も魅力の一つ。後に明らかにされる世界の構造や設定について、まだ伏せられている状態です。読者もエマたちと同様に推察しながら話を読み進めていけるのです。

映画のほとんどを占める舞台であるグレイス・フィールド孤児院。ロケは福島県の天鏡閣と、長野県の山奥で行われました。閉塞感が漂っていることで生まれる不気味さが良かったです。カズオ・イシグロさん原作の映画『わたしを離さないで』(2010)に登場する学校の美術にとても似ていました。

この作品は、約ネバと話が似ているという批評をされることがありますが、物語はむしろ対照的です。約ネバが世界に抗う話であるのに対し、この作品は世界を受け入れたうえで、いかにして生きるかを描いています。個人的には、貴志祐介さんの小説『新世界より』(2008)を想起しました。こちらも世界の真実を知った子供たちが世界に反抗する物語でありおススメです。

話を戻しまして、この世界の不気味さを如実に表現しているのが「鬼」です。人間を食料とする鬼は、細長く巨大な身体と、高い知性を兼ね備えた怪物。映画では迫力あるCGで、鬼のビジュアルが再現されています。目をギョロギョロ動かすさまは、漫画同様の衝撃と恐怖を覚えました。

本作の製作発表とビジュアルが発表されたとき、Twitterのリプライ欄には「やめてくれ」「年齢設定変えてまで実写化しないで」といった声が多数寄せられました。

俳優陣の演技はおおむね素晴らしかったです。主人公エマを演じる浜辺美波さんからは、エマの突き抜けて天真爛漫な様子が見事に伝わってきました。

そして特筆すべきは、板垣李光人さん演じるノーマンの色気の凄さです。『仮面ライダージオウ』(2018-19)では可愛らしい悪役を演じていましたが、その印象を覆すような、色気と落ち着きのあるキャラクターでした。彼の演技だけでも本作を観る価値は十分にあると思います。

ヒール役であるイザベラとクローネの演技も素晴らしかったです。特に北川景子さんは、イザベラの母親としての面と飼育員としての面を両方持つように、しっかり見える演技をされていました。実際、追加キャスト二人が発表されたときに好評を集めていました。この発表で製作発表時のマイナスなイメージは巻き返したと、私は思っていました。

ただし鑑賞中に気になった点がありました。主人公3人が同い年に見えないのです。漫画では12歳だったエマ・レイ・ノーマンの年齢が、実写では16歳に引き上げられています。

キャスティングの難しさを考慮しての改変自体は、十分に理解できるものです。しかし演者の年齢は、19歳、17歳、そして13歳。わざわざ設定を改変するのなら、もっと同い年に見えるようなキャスティングにしようよ、という感情は拭えませんでした。

その年齢差を埋めるため、俳優は監督の指示通り自分の年齢より年上に聞こえるように声を作っていました。加えて撮影終了後に声変わりをしたので、そのあとに全てアフレコし直したと語られています。それでも正直言って16歳には聞こえませんでした。レイの演技が駄目とかいう意見を目にしますが、そうではなく、明らかなキャスティングミスです。

約ネバ実写のアダプテーション

先述した鬼やハウスといった視覚的な要素を含め、原作の再現度は高いと思います。物語に関しても忠実そのものです。しかし忠実すぎるが故に、一本の映画としてマイナスに働いている部分もあると感じました。

エマのナレーションによる世界観や設定の説明から映画は始まります。ナレーションが終わり、タイトルが出たあと、すぐにコニーの出荷シーンへと移ります。この場面でエマとノーマンが鬼の存在を知ることで、話が展開していくのです。

原作では、頭の良さを駆使して鬼ごっこをしたり、仲良く食事の準備をしたりする様子がその前までに描かれます。「平和」な日常が先に提示されていることで、私たちは主人公たちと思い出を共有でき、後のエマの涙や脱獄への覚悟に感情移入できるのですよ。

しかし本作では、日常描写はナレーション時に使われる映像のみで、ほとんど描かれません。後になっても子供たちに全然感情移入できませんでした。

終盤のハウスからの脱獄に至るまで、

  • クローネとの鬼ごっこ
  • ドンとギルダを仲間に入れる
  • ロープを使って内通者を探す
  • ノーマンの出荷

といった、主要なエピソードは全て脚本に盛り込まれています。

一般的な映画の尺は2時間ほど。2019年に放送されたアニメ版では、1クール(全12話)を使って「脱獄編」を映像化していました。単純計算しても25分×12回=5時間かかった計算になります。

それらの話を映画の尺にまとめるため、キャラクターの感情が詳細に描写されることはありませんでした。ただの段取りとして、エピソードを消化していたのです。エピソードを無理やり詰め込んだ弊害でしょう。

褒める点を挙げるとすると、ノーマンが出荷されるとき、彼はカバンの中に糸電話だけを入れていました。これも漫画に登場する場面ですが、本編のこぼれ話を描いた4コマ漫画を元ネタとしています。こういった原作ファンほど楽しめる細部のこだわりは、ファンサービスとして良い部分だと思いました。

エマたちが脱獄計画を進める中、松坂桃李さん演じる謎の男が終盤に登場します。原作の後のエピソードで登場する、作品のカギを握る重要人物です。

エマたちは、ミネルヴァがハウスの蔵書に残したメッセージを頼りに、そして彼に会うために、脱獄をします。そんなミネルヴァを殺した、と彼はノーマンに対して言い放ちました。

この台詞が挟まれたことで、脱走しても良くない未来が待っているような不穏さが残っています。私は鑑賞後に消化不良感を抱いてしまいました。彼が出てこないほうが、すっきりして最後まで彼らの脱獄を見守れた気がします。

なぜ元の「脱獄編」には登場しない謎の男を、わざわざ脚本に加えたのか。それは「この映画はまだ物語の途中ですよ」というメッセージなのだと思います。言い換えれば、続編を作りたいという思惑があるように思えてなりません。

本作だけを観ただけでは、謎の男はただ意味深な言葉を言い残しただけの人物にしか見えません。せめて1本の映画として消化不良を残さない脚本や結末にしてほしかったです。

スポンサーリンク

最後に

原作のエピソードと流れをなぞってはいますが、実写化することの意味を、映画に落とし込みきれていない作品です…

最後まで読んでいただきありがとうございます!

Comments