夏に公開された春映画のようなもの。
作品情報
仮面ライダーシリーズ50周年とスーパー戦隊シリーズ45作品を記念したアニバーサリー映画。両シリーズの歴代戦士が集結し、物語の根幹を揺るがす敵に立ち向かう。『仮面ライダーセイバー』をはじめ、戦隊・ライダーの経験を多く持つベテランが監督や脚本を担当する。
原作: 石ノ森章太郎 / 八手三郎
出演: 内藤秀一郎 / 駒木根葵汰 / 鈴木福 / 谷田歩 ほか
監督: 田﨑竜太
脚本: 毛利亘宏
公開: 2021/07/22
上映時間: 75分
あらすじ
本の執筆でスランプとなり悩んでいた飛羽真は、ユーリの薦めである本を受け取る。
イントロダクション | スーパーヒーロー戦記より引用
しかし、開くとあたりが光に包まれ、目が覚めると人間と機械が共存する”ゼンカイジャー”の世界にいた!
同じ頃、介人の身にも同じことが起こり、倫太郎と出会っていた。
なんと、あらゆる世界が混ざり合っておかしなことに!
元に戻すべく飛羽真は介人と協力し、さらに歴代の仮面ライダー、スーパー戦隊の力も借り、
2大ヒーローたちは集結する。
レビュー
このレビューは作品のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
クロスオーバーの系譜
言わずと知れた漫画界のレジェンド・石ノ森章太郎。手塚治虫や藤子不二雄、赤塚不二夫らを輩出したトキワ荘に居住。『サイボーグ009』や『人造人間キカイダー』をはじめ、幅広いジャンルの作品を数多く生み出した。
中でも『仮面ライダー』と『秘密戦隊ゴレンジャー』は、現在に至るまで脈々と続く長寿シリーズになっている。両シリーズのアニバーサリーイヤーを記念した今作では、各歴代戦士たちが共闘します。本題について書く前に、両者のクロスオーバーの系譜を辿っていきます。
- 2009年『仮面ライダーディケイド』
石ノ森先生の没後に開始した平成仮面ライダーシリーズ。10作目『ディケイド』では、それぞれ独立した世界観で製作された歴代ライダーを別世界の存在として登場させました。主人公は各世界を渡り歩きます。
いろいろな世界を巡る中で、ディケイドは「シンケンジャーの世界」へ。このエピソードと同日に放送された『侍戦隊シンケンジャー』と話の内容も連動していました。これがテレビドラマとしては初となる、仮面ライダーとスーパー戦隊の共演です。
約2年後に始まった『海賊戦隊ゴーカイジャー』(2011-12)には、歴代の戦隊が登場します。別個の世界観を持ちつつも、作品を越えた共演は頻繁に行われていたスーパー戦隊。この作品では全ての戦隊が、同一世界の存在として描かれました。
さらに『海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』(2011)では、宇宙刑事ギャバンと共演。ディケイドとゴーカイジャーの誕生により、両シリーズはクロスオーバーが容易になったと言えます。
- 2012年『スーパーヒーロー大戦』
ゴーカイジャー終了後すぐに製作されたのが『スーパーヒーロー大戦』。歴代戦隊とライダーの対立が描かれます。絵的な豪華さは圧倒的なお祭り映画でした。この映画はシリーズ化され、翌年は宇宙刑事が加わった『スーパーヒーロー大戦Z』(2013)が公開。
春に公開されることから、当シリーズは「春映画」と呼ばれるようになります。ヒーローたちが対立しつつも最終的には共闘する、という分かりきった展開。その展開のための駒でしかない登場人物たち。そういった理由から、春映画の評価は高くありませんでした。
その後『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』(2014)や『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』(2015)が製作。仮面ライダーメインの脚本になり戦隊の出番は減りました。それでも両者の共演は続きました。
- 2017年『超スーパーヒーロー大戦』
それまでと同様に分かりきった展開の5作目。出演する歴代戦士をゲーム内キャラとすることで元ネタのイメージと切り離そうとしていたり、主要人物の心理的成長を描いていたり、工夫が見られました。
しかしながらこの年を最後に「春映画」は作られなくなり、毎年あったクロスオーバーの機会は無くなりました。本作は4年ぶりの共演。前述したマイナス要素から「スーパーヒーロー〇〇」というタイトルに一抹の不安を覚えた方もいたのではないでしょうか。
創作の意義
話の中心は『仮面ライダーセイバー』の世界。そこでは45の「スーパー戦隊の書」と35の「仮面ライダーの書」が禁書として封印されていた。封印が解かれたことによって、物語同士が交じり始める。
物語の境界が曖昧になった世界でセイバー=神山飛羽真は、謎の青年と出会う。その正体は若き日の石ノ森章太郎。現実世界の存在である彼がこの世界にいる理由は、終盤に明らかになります。
デカマスターや、シンケングリーン、キラメイブルー、仮面ライダーゼロワン。ヒーローの絵を自分で描く夢を持つ彼は、目の当たりにした戦士たちを模写していく。しかし「なんか違う」と彼らに違和感を抱き、自身の描きたいヒーロー像を見失ってしまう。
それは彼らが、石ノ森先生の没後に誕生した戦士だから。いわば二次創作の産物なのです。先生の描くヒーローは「悪をもって悪を征する」。そこに疑問を抱いた章太郎はバトルものを描かなくなり、仮面ライダーとスーパー戦隊は消滅。これこそが宿敵・アスモデウスの目的でした。
後に章太郎が漫画家になることを知った飛羽真は、彼に創作の重要性を問いただします。そこから終盤に繋がる展開からは、「どんな創作物も他人の気持ちを動かす可能性を秘めている。一次創作も二次創作も関係ない。創作そのものに意味がある。」といった強いメッセージを感じました。
作者の死後も語られ続けていくのが「物語」。それこそ劇中に出てくる西遊記は、何百年も前に書かれましたが未だに語り継がれています。
石ノ森先生を演じているのは鈴木福さん。彼自身、両シリーズの大ファンであることを公言しています。先生の没後に生まれた彼が、先生の描いた物語を愛している。そんな福さんをキャスティングすることで、創作を肯定する本作のメッセージがより強固なものになっています。
『セイバー』の小説家設定を活かしたストーリーに、脚本の巧みさが伺えます。ゼンカイジャーは話の根幹に絡まないのは残念でしたが、その明るさは今回のお祭り感にピッタリ。メイン脚本の香村純子さんが監修に入っているだけあって、しっかり面白い。
この映画にはディティールにも注目したい。たとえば「スーパー戦隊の書」と「仮面ライダーの書」。戦隊の書が統一されたサイズ・装丁であるのに対して、ライダーの書はバ不揃い。ライダーの世界観や放送体系のバラバラ具合が、見事に表現されたアイテムでした。
また「八犬伝」は石ノ森先生が原案を務めた『宇宙からのメッセージ』(1978)のモチーフ。「西遊記」は、先生が同名アニメ映画の製作に携わっている。というふうに、先生に由来した昔話がストーリーの題材に選ばれていると考えられます。
お約束とサプライズ
ここまで褒めポイントを述べたものの、個人的に諸手を挙げて喜べませんでした。まず登場人物がめちゃくちゃ多い。そのため限られたキャラ以外は、序盤とラストバトルにしか登場しません。これは仕方ないながらも、一人ひとりをもっと活躍させてほしかったです。
撮影についても言及させていただきたい。それは飛羽真と章太郎が会話するトキワ荘での重要なシーン。『仮面ライダーセイバー』で多用されたライブ合成で撮られたこの場面。残念ながら安っぽく不自然に見えました。もしかしたら大画面のスクリーンとの相性が良くないのかも。
とはいえ特筆すべきは、歴代ライダーと戦隊レッドが敵軍勢と戦う終盤のバトルシーン。そこでは各キャラが決め台詞を言いながら戦うのですが、代役声優が声を当てたその声が悉く似ていない。台詞自体も文脈を全く踏まえていない、雑な使い方に他なりません。
歴代戦士の声を新録できない場合、代役声優に声をあててもらう、もしくは過去に収録したライブラリ音声を使うのがお約束。それにしても元のキャストの声とは似ても似つかないため悲しくなりました。
各戦士が画面に映ると同時に、その作品のロゴが現れます。創作の歴史を噛みしめるという機能があるのかもしれない。ただそういった意図であれば、一つ一つをもっと丁寧に見せるべきです。ここに至る展開やメッセージが素晴らしく、その反動もあってこのバトルシーンは全く笑えなかったし、本当に嫌いです。
自分たちが創作物である、というメタフィクション視点を盛り込んだ映画は、シリーズに既に2つ存在します。その名も『仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER』(2018)と『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』(2019)。
それぞれを比較すると、メタ視点とメッセージの絡め方は異なっていることが分かります。『FOREVER』は視聴者視点、『Over Quartzer』は平成仮面ライダー自体の批評とするならば、『スーパーヒーロー戦記』は作り手視点の映画と言えます。
これらは、観客へのサプライズが用意されていることも共通しています。今作同様に白倉伸一郎プロデューサーが関わった『FOREVER』と『Over Quartzer』のサプライズは、大きな話題と反響を呼びました。彼の十八番といってもいいでしょう。
本作のサプライズは二つ。一つは『非公認戦隊アキバレンジャー』(2012)に対する言及。東映が全力で作ったおふざけ深夜ドラマ。戦隊と冠してはいますが、スーパー戦隊には含まれないイレギュラーな作品です。ゼンカイジャーの何でもありな世界観だから実現できた演出だと思います。
そして短編映画『仮面ライダーリバイス』の同時上映は、なによりのサプライズでした。1話分の長さの同時上映の存在は、公開前まで隠されていました。
9月スタートの新しい仮面ライダーでありながら公式の情報は一切なく、こういった情報解禁の順番も前代未聞。映画本編の内容を忘れてしまいそうになるほどのインパクトの強さには、まさに「してやられた」という印象でした。
最後に
セイバーの設定を上手く絡めた、メタフィクション視点での仮面ライダー・スーパー戦隊の誕生譚が描かれました。ただしメタフィクションという構造ゆえに、ヒーローものとして危ういバランスになっています。このネタは頻繁には使えないかなという印象を抱きました。
今作はこれまでの春映画とは明らかに一線を画しており、あらゆる作り手に対する尊敬と応援が込められている良作でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
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