『仮面ライダーリバイス』感想:どんでん返しで明かされた認識の乖離

(C)2021 石森プロ・テレビ朝日・ADK EM・東映

長く続ける、って難しい。

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作品情報

令和仮面ライダーシリーズ第3作にして、仮面ライダー生誕50周年記念作品。仮面ライダーリバイに変身する五十嵐一輝が、自身に潜む悪魔「バイス」と共に悪魔と戦う。小説家の木下半太がメインライターを担当し、チーフプロデューサーを『宇宙戦隊キュウレンジャー』の望月卓が務める。

原作: 石ノ森章太郎
出演: 前田拳太郎 / 木村昴 / 日向亘 / 井本彩花 / 濱尾ノリタカ / 映美くらら / 戸次重幸 ほか
監督: 柴﨑貴行 ほか
脚本: 木下半太 / 毛利亘宏 / 内田裕基
放送期間: 2021/09/05 – 2022/08/28
話数: 50話

あらすじ

五十嵐家は、銭湯『しあわせ湯』を営む、ごく普通の家族。長男の一輝(前田拳太郎)は正義 感が強く世話好きで、熱い男。以前から時折、奇妙な《悪魔のささやき》が自身の内側から聞こ えるような気がしていたが、特にとらわれることもなくスルーしてきた。
一輝にとって何よりも大切なのは家族であり、家族や街の人々が集ってくれるしあわせ湯だった。だが、しあわせ湯は都市再開発の要請により立ち退きを迫られているのが目下の悩み事だった。
そんなある日、一輝たちは突然、デッドマンズ率いる怪人軍団の襲撃に遭遇!一輝は大切 なものを守りたい一心から自身の体内に宿っていた悪魔の存在に気づき、そのささやきに初めて耳を傾ける。そして、「毒をもって毒を制す」の精神で悪魔・バイス(声・木村昴)と契約を交わし、仮面ライダーに変身する――。

仮面ライダーリバイス | 仮面ライダーWEB【公式】|東映より引用
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レビュー

このレビューは『仮面ライダーリバイス』および関連作品のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

バラエティに富んだ秀逸なデザイン

1971年に始まった、日本特撮界に輝く金字塔『仮面ライダー』。生誕50周年を記念したシリーズ最新作『仮面ライダーリバイス』が、8月に最終話を迎えました。

同作は令和仮面ライダーシリーズの3作目に位置づけられてもいます。令和ライダーといっても、昭和ライダーと平成ライダーの間にある明確な線引きとは異なり、スタッフや玩具展開など大部分は変わっていません。あくまで改元のタイミングに合わせた、呼称の変更なのです。

平成ライダーと令和ライダーの数少ない相違点の一つが、スーツのデザイン。奇をてらったビジュアルの平成ライダーに対し、令和ライダーは正統派なカッコよさを打ち出しています。リバイスに関しても、ティラノレックスとパステルカラーを組み合わせた秀逸なデザインが目を引きます。

作中のサブライダーたちは良い意味で統一感がなく、バラエティに富んでいました。蜘蛛モチーフのデモンズや、ミリタリースーツを彷彿とさせるベイル、そして黒地に金と銀をあしらったジュウガ。みなカッコよかったです。

仮面ライダーデモンズ スパイダーゲノム|仮面ライダーリバイス|テレビ朝日
テレビ朝日「仮面ライダーリバイス」番組公式サイト。《令和ライダー第3作目》は悪魔と契約するヒーロー!?2021年9月5日(日)放送スタートテレビ朝日「仮面ライダーリバイス」番組公式サイト。

アニバーサリー作品のため、リバイスの各フォームやバイスタンプのデザインには、歴代作品の意匠が仄めかし程度に盛り込まれていました。

また「1人で2人の仮面ライダー」という触れ込みは『W』のようであり、人間と非人間のバディものは『電王』や『オーズ』を連想させます。設定上にも歴代作品に似た要素が散りばめられており、『リバイス』がシリーズの系譜を受け継いでいることを意識させられます。

主人公家族に漂う不穏さ

銭湯を営む五十嵐家が話の主軸である本作のキーワードは、「家族」と「悪魔」。

作品序盤では五十嵐一輝、大二、さくらの三兄妹が、仮面ライダーに変身する力を手に入れます。その過程で、大二やさくらが抱いているコンプレックスが重点的に語られます。それにより表面上は仲の良い家族の歪さが浮き彫りになるとともに、不穏な雰囲気が漂っていました。

政府直属の特務機関「フェニックス」で働く次男・大二。幼い頃から兄に嫉妬していた彼は、悪魔「カゲロウ」を無意識に生み出します。カゲロウは、兄を憎むたびに成長していました。第1話で敵に怖気づいたために、世界を守る力まで兄に奪われた大二は、遂に自身の悪魔と対峙します。

強さを求める高校生の長女・さくら。ベルトを手に入れるも、兄たちのように変身できませんでした。自分の弱さに気づき、それを受け入れたことで、はじめて仮面ライダーに変身します。ただ負けず嫌いであると同時に、自身の考えを押し付けるわがままな一面も持ち合わせています。

三兄妹を育てながら、銭湯を切り盛りする母・幸実。一見して包容力がありそうですが、子供たちの悩みに対して、分かっている雰囲気を出し、上辺だけの綺麗事を言うだけ。にもかかわらず子供たちが彼女のアドバイスに従う様子は、宗教的ですらありました。

バイチューバーとして、熱心に動画を撮影する父・元太。再開発のための立ち退きに容易に応じるダメダメさは、三兄妹にまで負担をかけています。子供たちを家に繋ぎ止める両親の存在は、彼らの自立を妨げているように感じられました。

そして長男・一輝は、サッカー選手の夢を諦め、銭湯の跡継ぎをしています。家族の問題に常に自己犠牲な姿勢で、「日本一のお節介」と呼ばれています。その一方、デッドマンズ幹部の灰谷からは「エゴイスト」と指摘されていました。

全員がどこか嫌な感じに描かれている五十嵐家には緊張感があり、この関係がいつ崩壊するのか観ていてヒヤヒヤしていました。幸実を襲う一輝の悪魔「バイス」や、家族写真から一輝のみが消える演出は、後のダークな展開を予感させます。

こうした家族の負の側面、いわば枷のような面を想起させる物語は、過去のライダー作品とは一線を画しており新鮮。東映特撮ファンクラブ(TTFC)で配信されている第1話のオーディオコメンタリーから、上述した不穏さは意図的と考えられていました。

おしゃべりで賑やかな悪魔・バイスは、画面に向かってメタ的なことを語りかけます。第四の壁を越えるコミカルさは『デッドプール』みたいであり、人間との掛け合いの軽快さは『ヴェノム』みたいでした。シリアスな展開とのバランスをとる、貴重な癒しとなっていました。

展開のジェットコースター

毎話ごとに状況が目まぐるしく変化していく作品前半は、とてもスピード感があります。新ライダーや新フォームの数が多く、物語上の謎も増えていくため、観ていて飽きません。

この特徴は、メインライターである木下半太さんの代名詞である「どんでん返し」と言えます。テンポよく二転三転していくストーリーが、木下さんの小説の特徴です。それにより読者を話にグイグイ引き込んでいきます。

とはいえ今作には展開の速さゆえの、惜しい点も見受けられました。弁護士の工藤、心理カウンセラーの灰谷、フェニックスの若林司令官に擬態していた男、といったデッドマンズ幹部たち。早々に退場する彼らは、みなキャラが立っていたので、もっと出番があっても良かったのではと思いました。

デッドマンズが解体したのに伴い、オルテカは単独で暗躍する一方、アギレラとフリオは悪魔を分離させられて人間に戻ります。ドロンボー一味のような3人の関係が好きだったので、個人的には残念でした。

作品序盤の特徴として、各話のゲストキャラのエピソードが並走していました。平成ライダー2期前半に似た二話構成ではなく、ほとんどが一話で解決します。そのため必然的に描き込みが少なくなっているとともに、彼らの悩みがメインキャラの抱える悩みと密接に繋がっていません。

このように本作は、過去のライダー作品と似ているようで違うストーリーです。完全には平成ライダーの流れを踏襲していないため、シリーズを追ってきたファンにとっても新鮮だったのではないでしょうか。

歪な「強い女性」像

ここからは作品後半に顕著になった、作風を決定づけるいくつかの価値観に触れていきます。

過去のライダー作品に比べ、女性の仮面ライダーが多く活躍する今作。「男児向け」と呼ばれるシリーズにおいて、こういった潮流は現代的で素晴らしい流れです。このアイデアは、「どんな困難にもめげない、負けない、強い女性を描きたい」木下さんによって持ち込まれました。

リバイス 第12話:「弱さは強さ!?無敵のジャンヌ!」 | 仮面ライダーWEB【公式】|東映
仮面ライダーシリーズ公式サイトです。令和仮面ライダー第4作となる「仮面ライダーギーツ」や前作品「仮面ライダーリバイス」「仮面ライダーセイバー」の番組や映画の紹介は勿論、グッズ商品やイベントの情報などシリーズ全般で掲載していきます。

さくらが初めて変身する第11~12話は、好きなエピソードです。「さくらのやることじゃない、さくらは家にいなさい」といった母の言葉への嫌悪感や、劇中での葛藤には深く共感しました。自分の弱さを受け入れ、強さを手に入れる彼女はカッコよかったです。

しかし作中のさくらには、「強い女性」という印象を最後まで抱けませんでした。その理由として、中盤以降、回を増すごとに彼女の口調が怖くなっていくのです。感情的に怒鳴り散らし、暴言や威嚇を武器にわがままを押し通す彼女には、ヒステリックなイメージを抱かざるを得ません。

アギレラもまた、人間・夏木花に戻ってから、さくらに似た口調や振る舞いに変化します。地下組織「ウィークエンド」への加入後は、さくらに追従するだけの存在に成り下がっており残念でした。「ギッタギタにしてやる!」には、優しくカッコいいアギレラ様の面影は全くありません。

影響を受けたであろう『ニキータ』(1990)や『アトミック・ブロンド』(2017)、『ブラック・ウィドウ』(2021)の主人公は、紛れもなく強い女性。ただし彼女たちは物理的な強さを持った、戦う女性でもあります。木下さんをはじめとした製作陣は、「戦う女性」を「強い女性」と認識しているように思われます。

強い女性という概念は、男性らしさや女性らしさとは切り離せません。さくらや花に違和感を抱くのは、マチズモ的な歪な「強さ」をそのままに、性別だけを置き換えたからでしょう。物語が進むにつれ、そういった像に押し込められる彼女たちは、個人的には魅力を見出せません。

どちらかと言えば、幸実のほうが強い女性だと感じられました。肝っ玉母さん的な古さは見受けられますが、芯の通った考えで3人の子供を育てているのは、彼女に強さがあるからこそです。

とはいえ単独映画『劇場版 仮面ライダーリバイス バトルファミリア』(2022)における妊婦まわりの描写や展開は、製作陣の女性に対する知識や理解の浅さを如実に示していました。

新組織「ブルーバード」にてお茶汲みをする花が、最終話で映し出されます。戦う女性(つまり製作陣の言わんとする「強い女性」)ではない女性キャラは、家父長制に属する存在に過ぎません。作品全体の旧態依然とした時代錯誤なジェンダー観が、このカットに象徴されていました。

「正しい」家族観の押しつけ

続いては、『リバイス』のキーワードでもある家族に対する価値観について。本作は五十嵐家のほかにも、狩崎親子や牛島家など、様々な家族が登場するのが特徴的です。作品終盤の赤石英雄と大二の関係性も、一種の家族のかたちと言えます。

しかし劇中での家族の在り方は、決して多様ではありません。第39話のさくらの台詞「いろんな家族の形があっていいんじゃない?」とは裏返しに、全ての家族が「正しい」かたちに集約されていきます。

代表的なのが、第47~48話で語られるジョージ・狩崎のエピソード。彼の父・真澄は幼少期の息子に悪魔を移植するなど、非人道的な行為をしてきました。ウィークエンドで贖罪をしていたものの、息子のジョージからすれば許しがたい所業です。

暴走するジョージに対して一輝たちは、真澄にも愛があった、と言います。この説得は、愛情を理由にこれまでの酷い仕打ちを許せ、という意味合いに感じられ、不快な場面でした。その後にジョージが、父への後悔を涙ながらに吐露する結末も、非常に納得しにくいです。

ここで序盤を振り返ると、第3~4話がシリーズ全体の家族観を端的に表していました。この回では、一輝の幼馴染である桶谷彩夏に焦点が当てられます。妹の美春に構ってばかりで、自分を見てくれない母・妙子に不満を募らせた彩夏は、デッドマンを生み出して妹を攫いました。

そんな危機的状況にあっても妙子は、美春の安否しか心配していませんでした。明らかに偏愛が垣間見える彼女は、彩夏に対して「あなたも好き」と言葉だけの愛情を示し、一応の和解をします。謝ったら何でも許されるのか、とモヤモヤが残る幕引きでした。

昨年末公開の『仮面ライダー ビヨンド・ジェネレーションズ』(2021)も、毛利亘宏さん脚本とはいえ、父親の知られざる愛情を知った息子が心を改める物語でした。

これらのエピソードから、子供を見守ってさえいれば親の愛情は必ず伝わる、といった価値観が浮かび上がってきます。「子供に見てもらうことを前提とした」シリーズにおいて、この穿った家族観は飲み込みにくいです。

そういった家族に干渉する一輝からは、「家族は円満であるべき」みたいな押しつけがましさが感じられました。親がすべて正しいわけではないし、家族に正解はありません。だからこそ一つの家族観を正しいものとして他者に押しつけるのは、傲慢であり間違っています。

各々の境遇により家族観は千差万別だからこそ、もう少し配慮が必要だったと思いました。

要素と描写のアンバランス

作品が終盤に差し掛かると、感動的なシーンや熱いバトルが増えていきます。しかしながらいずれも、そこにいたるまでの描写の積み重ねがされていません。十分な肉付けがあればさらに名場面になったはずの展開なのに、いまいち気持ちが乗り切れませんでした。

その要因と考えられるのは、設定やキャラクターの多さ。ゆえに一つ一つの要素を掘り下げる描写が不足しています。牛島光をはじめとしたライダーたちの初変身、牛島公子などの登場人物の最期、そして元太とベイルの因縁の対決。それら全てが唐突で薄っぺらく感じられてしまいました。

さらに重要なのが、主人公である一輝の描き込みすら十分にできていない点。劇中では「一輝はお節介」と台詞上でたびたび説明されているものの、具体的なエピソードはほとんどありません。そのため彼がお節介をする背景や目的が、明確に見えてきませんでした。

というのも門田ヒロミやアギレラ、牛島家、狩崎親子といった、他に掘り下げるべき複数のドラマがそれぞれ独立して並走していたのです。その多くが所属するウィークエンドが必然的に話の中心になっていくため、それにつれ一輝は蚊帳の外になってしまっていました。

ただ前述したように、サブキャラ一人ひとりを描く尺も足りていないので、どっちつかずで終わっていました。要素を少し削っていれば、そうした描写不足には陥らなかったと思われます。

TTFCで配信されているプロデューサー座談会での発言曰く、意図的に余白を残し、解釈の余地を残した、とのこと。確かに説明台詞ばかりはつまらないですし、本編で語られない箇所を想像で埋めるのは楽しいです。しかし今作には、視聴者が解釈をするための説明や描写自体が足りていないと感じました。

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悪魔の定義の整合性

『リバイス』を最終話まで観て疑問に感じたのが、作品のキーワードである「悪魔」について、整合性がない点です。

前提として、人間は誰しも心の中に悪魔を宿しており、体にバイスタンプを押印するとそれが実体化する、という設定でした。カゲロウやラブコフを見るに、その人の悪意や弱さなどの負の部分を象徴した存在が悪魔だと考えられます。ゆえにバイスも、一輝のネガティブな面の具現化と言えます。

物語が進んでいくと、この存在は様々な意味を持ち始めます。終盤の大二とカゲロウの関係性は悪魔を必要悪としており、最終話の台詞「(悪魔との別れは)自分が成長するためには必要なこと」は、悪魔を未熟さの象徴としています。さらにバイスたちには、イマジナリーフレンド的な側面もありました。

このように定義が二転三転し、時に劇中で混在していることで、状況ごとに何を意味しているのかが不明瞭になっていました。また悪魔が人間と交わす「契約」も、終始かなり曖昧なものでした。

作品序盤からあった、家族写真から一輝が消える演出。これはバイスとの契約によるものと中盤に明かされました。記憶から消えるだけで事実は消えないのに、写真から一輝の姿だけが消える。この理屈自体、理解しがたいですが、それはいったん置いておきます。

ギフとの戦いが終わった後、バイスはわざと一輝を変身させ、バイスを含めた家族全員を忘れさせます。それにより契約が満了し、バイスが消滅すると同時に家族の記憶が戻るのだそう。しかしバイスが消滅し、一輝が取り戻した家族の記憶の中にバイスはいませんでした。

この結末の違和感も、契約に関する説明や描写がほとんどされていなかったのが要因です。おそらく放送を続けている中で、製作陣にも悪魔や契約の解釈に変更があったのでしょう。

ライブ感の弊害

放送中の路線変更を揶揄する言葉として、近年よく使われるのが「ライブ感」。ライブ感とは主に、スケジュールや役者の演技、視聴者の反応などを指します。一年を通したシリーズ構成をあまり行わない、平成・令和ライダーのシナリオで重視される傾向にあります。

全編を観終わると、序盤の時点で、中盤の話の伏線が張られているのが分かります。第1話でジョージが父の存在を語っており、牛島家やぶーさんの台詞は彼らの正体を示唆していました。なので多くの人が言及しているよりは、さほど路線変更が行われていない気はします。

当初からの変更点と明かされているのは、アギレラ、デストリーム、ジュウガの追加ライダーや、ライブとジャンヌのフォーム追加。つまり終盤のストーリーには、ある程度ライブ感が影響していると考えられます。

予定以上にライダーの数が増えた反面、新しい怪人のスーツにあてる費用が無くなったのは想像に難くありません。それにより終盤になるにつれ、戦闘員とのバトルが多くなり、新鮮味が無くなっていました。

こうした変更は、脚本や商品展開が決まっている中、現場の意見を取り入れつつ、プロデューサーやテレビ局、玩具メーカー、俳優事務所などで話し合いが重ねられた結果だと思います。プレミアムバンダイ限定販売が多いのも、既定の商品展開を邪魔できなかったからでしょう。

上に挙げた関係者の多さは、明らかに作品の舵取りを難航にしています。現場のやりたいことを聞いて取り込んでいく、と言われる望月卓チーフプロデューサー。方々の意見を無理に引き受けた結果、行き当たりばったりな展開になったのでないかと推測してしまいます。

本作のライブ感を象徴しているのが、朱美さんこと、御子柴朱美。終盤に繰り広げられる一輝と大二の喧嘩は、朱美さんに対する誤解が解けてこそ和解するはず。それなのに彼女の存在は無かったことにされ、いつの間にか論点はすり替えられていました。

これこそ、その場ごとに展開を決めている弊害と言えます。物語の中で変えてもいい部分と変えてはいけない部分の認識が、スタッフ間で共有されていない印象を抱きました。

作り手と受け手の認識の乖離

ここまで長々と書いてきた全てに通底しているのが、作り手と受け手の間にある認識の乖離です。古臭い女性像や家族観に疑問を抱いた視聴者がいたことからも、認識の齟齬が生じているのは違いありません。

その最たるものが、五十嵐家の不穏さです。多くの視聴者に「良くない」と思わせた主人公家族は、後のダークな物語を期待させました。しかし蓋を開けてみれば、製作陣はこの家族を「良い」と考えていたため、関係を肯定したままハートフルな最終話を迎えました。

また話の中には、ライダー作品の定番から外れた展開がいくつもありました。アルティメットリバイス初変身の展開など、意図的に定番を避けたと言われています。意外性を求めたのかもしれませんが、カタルシスが減っており、単に面白くなくなっています。

令和仮面ライダーは、コロナウイルスと切っても切り離せません。放送中に流行が始まった第1作『仮面ライダーゼロワン』(2019-20)は、撮影中止とシナリオの変更を余儀なくされました。次作『仮面ライダーセイバー』(2020-21)は、ライブ合成をはじめ、コロナ禍における撮影方法を模索していました。

『リバイス』はコロナ禍に加え、緊迫した社会情勢が強く影響を与えています。ウィークエンドまわりの描写は、現実の戦争を鑑みて当初の予定を変更した、とのこと。こうした不可抗力によるシナリオ変更は、本当に仕方がないとしか言いようがありません。

今作の製作陣は、感染状況が一年で今より好転するだろうと予想しており、その想定で作られたシナリオを変えざるを得なかったのだそう。ただコロナ禍以降の映像作品でも、対策と工夫をしながら撮られた面白いドラマは沢山あります。ゆえに作品の出来についてコロナを理由にすると、どうしても言い訳に聞こえてしまいます。

望月さんは現場スタッフの退職理由を、コロナによる給料や仕事の減少と語っていました(※1)。もちろん現場の縮小は、多少たりとも影響していると思います。しかしながら主たる理由として、他の映像作品とは異なる労働環境が関係していると思えてなりません。

※1:リバイス 「最終話を終えて」 | 仮面ライダーWEB【公式】|東映参照

スピンオフと労働環境

現場の縮小をカバーするため、『リバイス』はスピンオフドラマが多く作られました。TTFCでは『リバイスレガシー 仮面ライダーベイル』、『Birth of Chimera』、『仮面ライダージャンヌ&アギレラ withガールズリミックス』の3つが配信されています。

他にもTELASAで配信された『仮面ライダーリバイス The Mystery』や、Blu-ray COLLECTIONの特典、『てれびくん』の応募者全員サービスDVDなど、いくつもの媒体でスピンオフが展開されています。

本編の物語をスピンオフで補完するため、本編自体が説明不足になってしまうのが、近年のライダー作品の傾向。ただ今作に関しては番外編的なエピソードが多いので、その印象は薄いです。唯一テレビシリーズと密接に繋がる『リバイスレガシー 仮面ライダーベイル』で描かれた話は、重要な部分のみ本編でも語られていました。

作品数を増やした理由は、コロナ対策で現場の人数を制限する必要があり、それによって仕事が無くなったスタッフのために、新たな企画を立ち上げて現場の数を増やす目的があったのではないか、と推測しています。

しかし現場一つあたりの仕事量は変わらないため、必然的に一人あたりの仕事は増えていると考えられます。そのためスピンオフの増加が、労働時間の長さに繋がっているのではないでしょうか。

2021年11月、『リバイス』制作現場での過重・長時間労働、セクハラ、賃金未払い、といった劣悪な労働環境が明るみになりました。まさに「やりがい搾取」と言える実情が語られていました。

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◯はじめに 私は東映株式会社に入社し、制作現場でパワハラ・セクハラ・過重労働の被害に遭い、適応障害で休職をしています。 休職期間中は、精神科やカウンセリングに通いながら、総合サポートユニオンに加盟し、東映と交渉を行ってきました。 総合サポー...

これはセクハラをした当事者だけの問題ではなく、会社や業界全体に昔から根付いている問題だと思います。被害者の方が声を上げたことで、ようやく明るみに出たという印象を抱きました。

後に東映は、労働基準監督署からの是正勧告を記者会見で公表しました。にもかかわらず最終話の放送直後、このような企画を発表したことから、一般社会との認識の齟齬が埋まるまでには時間がかかりそうに思われます。

キャラを魅力的にする演技力

ここまで否定的な感想が多めになりましたが、忘れずに述べておきたいのが、役者陣の演技力。全編を通して登場人物たちが魅力的に感じられたのは、彼らを演じる俳優陣によるものが大きいと思います。

まずは主人公・一輝を演じる前田拳太郎さんの芝居の素晴らしさ。特に記憶を喪失した終盤、家族に向ける「この人たち誰?」的な絶妙な表情は、自然すぎて怖さすらありました。また坂本浩一監督回に顕著に見られるように、アクションのスキルの高さも伺えました。

もう一人の主人公であるバイスは、木村昴さんが声をあてています。スーツアクターの永徳さんとの相乗効果で、憎まれ愛されキャラに仕上がっています。個人的に好きなシーンが、バイスが一輝に肩を貸して病院のロビーを歩く第18話の場面。二人の覚悟が表れていてカッコよかったです。

そして特筆すべきは、大二とカゲロウを一人二役で演じた日向亘さん。大二は一年を通して、立場や感情に最も動きがあった人物でした。終盤の迫真の芝居は、作品内で多くの感情を演じてきたからでしょう。

放送前から注目を集めていたアギレラ役の浅倉唯さんは、この勢いに乗ってさらに活躍の幅を広げてほしいですし、総じてこのドラマに出演されたみなさんが、今後も各所で活躍されることを心から願っています。

本作はベテラン俳優陣の重厚な芝居が楽しめるドラマでもありました。第40話での矢柴俊博さんと橋本じゅんさんによる、アドリブでの迫真の対話シーン。あるいは第42話では、元太役の戸次重幸さんの鬼気迫る芝居が堪能できます。どちらも本作屈指の名場面と言えます。

最後に付け加えると、劇中の食事シーンはかなり好きな描写です。例えばカゲロウが美味しそうに食べる激辛カレーや、五十嵐家が一つの机で囲むすき焼きなど。料理が美味しそうであるとともに、キャラの関係性が端的に表現されている演出でした。

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最後に

作品が好きになれない人は、キャストやスタッフへの誹謗中傷をせずに自ら距離をとってほしい。そして彼らが、健全な環境で面白い作品づくりができるようになることを願っています。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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