自宅に最高の音響環境を整えたいと思わせる作品です。
作品情報
『ブルーバレンタイン』のデレク・シアンフランスが原案・製作総指揮を務めたオリジナル作品。聴力を失い始めたミュージシャンの人生を描く。2020年12月にAmazon Prime Videoにて配信開始。第93回アカデミー賞では作品賞や主演男優賞など6部門にノミネートされた。
原題: Sound of Metal
出演: リズ・アーメッド / オリヴィア・クック / ポール・レイシー / ローレン・リドロフ ほか
監督: ダリウス・マーダー
脚本: ダリウス・マーダー / エイブラハム・マーダー
配信: 2020/12/04
上映時間: 120分
あらすじ
メタルドラマーのルーベンは、聴力を失い始める。医師に今後も悪化すると言われ、ミュージシャンとしての自分も人生も終わりだと考える。恋人のルーは元ドラッグ依存症のルーベンをろう者のコミュニティーに参加させ、再びドラッグに走ることを防ぎ、新しい人生に適応できることを願う。ルーベンはろう者のコミュニテーで歓迎され、ありのままの自分を受け入れるが、新しい自分とこれまで歩んできた人生とのどちらかを選ぶのか葛藤する。
Amazon.co.jp: サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~を観る | Prime Videoより引用
レビュー
このレビューは作品のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
生活音と静寂
この映画の脚本と監督を担当するのは、本作が初監督作品となるダリウス・マーダーさん。脚本家としては、過去にライアン・ゴズリングさん主演の犯罪映画『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』(2012)を手掛けています。
監督が構想に13年、制作に10年の歳月をかけたという、練りに練られた本作。最も注目すべきポイントは、「サウンド・オブ・メタル」というタイトルのとおり、全編通してこだわり抜かれた音の演出です。
人間は普段さまざまな音を耳にしています。例えば、会話しているときの他人の声や、スピーカーから流す音楽。これらは私たちが意識的に聴いている音と言えます。「普通の」映画であれば、役者の台詞やBGMがメインの聴覚情報なので、観客は自然にそういった音声に意識を向けるでしょう。
しかし私たちが生活する中で耳にしている音は、ここまで挙げたようなものだけではありません。より多くの種類の音を無意識に聞いていることを、映画が始まって数分の描写によって気づかされるのです。
映画の冒頭、主人公ルーベン・ストーンとその彼女ルーの生活の様子が映し出されます。二人はバンドを組んでおり、トレーラーハウスで各地を巡りながら生活をしています。車内から溢れ出る生活感が素晴らしいので、この作りこまれた美術で私は心を掴まれました。
車内を映していると、様々な生活音が流れてきます。瓶のフタを開ける音。コーヒーをドリップする音。そしてミキサーでスムージーを作っている音。BGMが流れず台詞も少ないため、こういった生活音に自然と意識が向かいます。一つ一つの音に爽快感があり、耳に楽しい映画という印象を受けました。
終盤に至るまでBGMがほとんど用いられていないこともあり、爽快な音たちが際立って聞こえてきます。推測に過ぎませんが、生活音の音量が一般的な映像作品より大きくなっているのではないかと思ったくらいです。
ドラマーとして楽しい人生を送っていたルーベン。しかしある日突然、耳が聞こえなくなってしまいます。全く聞こえないわけではないですが、症状は既に深刻であり、日ごとにさらに悪化していきます。
耳が聞こえないことを表現するため、それまで普通に流れていた音声が、急に「ボー」という少し不快にも感じるような音に変わります。話しかけてくる人の口は動いているのに、声が全く聞こえてきません。この演出により、彼の耳の感覚を擬似体験することができます。
本作では、彼の耳を通した「ボー」という音と、物語内で実際に流れている音が交互に切り替わります。映画を観ている側からすると、場面は同じながらも急に音が大きくなったり、急に無音になったりします。なので「静かだと思っていたけど、実際はこんなに大きな音が鳴っていたの!」と驚く場面もありました。
ホワイトボードにサインペンで書くときの音。風で草がなびく音。金槌で釘をたたく音。まだまだ挙げたらキリがないような音たち。普段の生活であればそれほど意識しないような音が、今作では自己主張しながら私たちの耳に入ってきます。ちょっとした生活音が聞こえることの有難さに気づかされました。
慟哭と沈黙
ルーベンを演じるのは、リズ・アーメッドさん。『ナイトクローラー』(2014)では主人公ルイスの相棒リックを好演していましたが、本作が映画初主演。耳が不自由になる青年という難しい役どころを演じており、アカデミー賞主演男優賞ノミネートも頷けます。
病院で診察を受け、自分の症状の深刻さを突き付けられるルーベン。医師によると、失った聴力が回復することは二度と無く、徐々に衰えていく一方なのだそう。手術することもできるが、高額のため受けられない。
その事実を知り、今後どのように過ごすべきか分からなくなります。リズ・アーメッドさん自身が、彼のやるせなさから来る怒りを全身を使って体現しています。言い換えれば、何度も慟哭するのです。
あるときルーがトレーラーで目を覚ますと、ルーベンは今まで使っていたステレオを何度も蹴っていました。いつものように使おうとしましたが、おそらく音楽が聞こえなかったのでしょう。全力の蹴りっぷりには迫力があり、恐怖を覚えるほどでした。
その後、彼女の紹介で同じような症状を持つ人々の自助グループに参加し、彼らと共同生活をします。そのコミュニティのリーダー的存在であるジョーというお爺さんから、「ここでは何もしなくていい。部屋でじっとしていて」と注意されます。
屋根を直すなど、何かしら行動を起こすことで、「聞こえないこと」へのストレスを発散していました。気持ちを紛らわすことが出来なくなった彼は、与えられたドーナツを何度も手で握り潰します。この場面にもBGMは一切なく、ただ机を力強く殴る音だけが響き渡ります。個人的には作中でとても印象的なシーンです。
また全身を使った怒りの演技だけでなく、それとは対照的な、表情の変化にも注目していただきたい点です。彼が抱く複雑な感情を、台詞なしで表情ひとつで表現するさまにも、演技力の高さを感じられます。
例えば、自助グループの人々の家を訪れるよう彼女に説得される場面。「これからも二人で暮らしたい」という願いが溢れており、また「俺は彼らと一緒じゃない」という思いも覗かせているように感じました。
共同生活を始めてからも、彼の表情は依然として曇ったまま。グループの面々は手話でコミュニケーションをとっていますが、手話を知らないため、彼らの輪に入ることが出来ないからです。
ルーベンは耳が不自由になったことで話し言葉が通じなくなりました。そこから外れたコミュニティに入っても、手話が分からないため話が通じませんでした。共通言語がない中で、いかに意思疎通が難しいのかを痛感させられる、中盤の名演出と言えます。
孤立している様子は、彼女との生活への未練や切なさが表情からひしひしと伝わってきて、観ていて本当に辛かったです。
演技が素晴らしいのは、主役だけではありません。ルーベンと一緒に過ごしたい気持ちを押し殺して、離れて生活することを決めるルー。『レディ・プレイヤー1』(2018)のヒロイン・サマンサ役だったオリヴィア・クックさんが見事に演じています。
さらに、自助グループの子供たちを教える先生を演じるローレン・リドロフさんは、実際に聴覚に障がいを持っています。他にも耳が不自由な方をキャスティングすることで、作品世界が説得力を増しています。
受容と前進
共同生活していく中でルーベンは、手話を学び他のメンバーと意思疎通できるようになります。彼にとって大切な居場所になっていたでしょう。しかしそれでも再びルーと暮らしたいという願いを捨てられず、手術することを決めます。
決死の覚悟で手術を受け、ようやく音が聞こえるようになりました。しかし予期せぬ壁にぶち当たります。耳から聞こえるのは、聞き取りにくく違和感まみれな音でした。
手術とは、インプラントを埋め込むこと。実際に聴力が回復するわけではなく、脳を錯覚させて擬似的に聞こえるようにしているだけだったのです。居場所だった自助グループを去り、手術費用のために楽器も売却しました。そこまでして手に入れた耳は、しょせん偽物に過ぎませんでした。
彼は絶望します。この感情を表現する方法として、またも音の演出が用いられています。中盤まで一切流れれてこなかった機械音が、はじめて観客の耳に入ってきます。トイレの水を流す音。信号機の音。車が走る音。耳心地の良い環境音だけでなく、こういった不快な音が聞こえてくるようになりました。
それまで音が聞こえることのプラスな面を描いてきましたが、この場面から観客の価値観を反転させるための意図的な演出と考えていいでしょう。ルーベンの感覚を追体験しながら映画を観ているので、私自身「音が聞こえることって、こんなにうるさいのか」という気持ちになりました。邦題の通り、まさに「聞こえるということ」とは何かを問いただしています。
なぜ彼はジョー達の家を去らないといけなかったのか。それは彼らが難聴はハンデではなく、治すものではない、と考えているからです。必ずしも克服するべきものではないのです。自助グループで学んだことの重要性を思い知らされました。
主人公はラストに、自分の置かれた状況をついに受け入れます。装着していた補聴器をそっと外すしました。ラストカットの彼の表情、世界への向き合い方を見出したその表情に、きっと心動かされることでしょう。前に進み出すことには痛みを伴う。それを痛感させてくれるエンディングでした。
最初から最後まで音が重要な要素である本作。願わくば映画館で観てみたい作品であることは間違いありません。
最後に
アカデミー賞の選考対象に配信作品が含まれたことで、ノミネートされている作品が気軽に観れるようになっています。
この映画を観るときは、スピーカーなど音にこだわった環境を用意することをおススメします。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
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