『時をかける少女』映像化の第3弾です。
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作品情報
1965年に発表された筒井康隆による同名小説を原作とした、南野陽子主演の単発ドラマ。フジテレビ系列『月曜ドラマランド』枠で1985年に放送された。『南野陽子の時をかける少女』のタイトルでソフト化されている。
原作: 筒井康隆『時をかける少女』
出演: 南野陽子 / 中川勝彦 / 伊藤康臣 ほか
演出: 高橋勝
脚本: 城谷亜代
放送: 1985/11/04
あらすじ
ある夏の放課後、理科室の掃除中、床に落ちたフラスコから立ちのぼる白い煙と強烈なラベンダーの香りに気を失う和子。それ以来、彼女には不思議な体験が続く。授業内容が昨日と全く同じだったり、今、してきたばかりのことをくり返し行っているような!?過去と未来をさまようことになった和子は、タイム・トラベラーとなり―。
VHS『南野陽子の時をかける少女』パッケージより引用
レビュー
このレビューは南野陽子版をはじめとした、歴代『時をかける少女』映像化作品のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
アフター「大林版時かけ」
大林宣彦さんが監督し、原田知世さんが初主演を務めたことで知られる映画『時をかける少女』(1983)。封切り前の予想を良い意味で裏切る大ヒットを記録しました。この「大林版」の公開から2年後、再び同じ小説を原作としたテレビドラマが製作されます。
以前「時かけ」を映像化した『タイム・トラベラー』(1972)から、大林版までは約11年の年月が経っています。それに対して今回のドラマ化は、映画公開からわずか2年後の出来事でした。
当時の状況として、映画の記憶が鮮明に残っている人が多い中で、このドラマが放送されたことが容易に想像できます。「時かけのネームバリューが大きい今のうちに、何かしら作品を世に出そう」といった製作サイドの気概を、勝手ながら感じられました。
時かけの原作は筒井康隆さんの小説ですが、時かけの原点は大林監督の映画であるように思います。というのも南野陽子版は、大林版という巨大な存在を前提に作られています。大林版からどういった違いを提示するか、あるいはどの部分を変えないか。そのような課題に向き合いながら、作品が出来上がっていったと考えられます。
これは今作以降の映像化に関しても同様であり、時代を越えてカルト的な人気を誇る「原点」の影響力の大きさが分かります。「時かけ=大林宣彦・原田知世」という印象は、人々に根強く持たれており、その状況は目の前に立ちはだかる高い壁のよう。もしくは呪縛のようとも言えます。
主人公は、喫茶店「ラベンダー」を営む芳山家の長女であり、中学3年生の和子。幼い頃に母親を亡くしており、父親と妹とともに仲睦ましく暮らしていた。
彼女の仲の良い二人の同級生も、近所に住んでいた。一人は「言うことが本で読んだみたい」と揶揄されるほど、不思議な雰囲気を身にまとう一夫。長髪でスラッとしており、大人びた話し方をしています。もう一人は、実家が理髪店を営む吾朗。スポーツ刈りで眼鏡をかけており、年相応のやんちゃな印象を与えます。
おそらく当時の視聴者は、和子だけでなく一夫や吾朗に関しても、大林版に出演した役者さんのイメージを強く持っていたことでしょう。本作では、映画の二人とはかけ離れたビジュアルの俳優さんがキャスティングされています。これは上述した、原点との明確な差別化の一つのように思われます。
さらに大林版の影響は、ドラマの冒頭部分にも如実に表れていました。作品が始まって数分の間に、一夫の正体を示唆する演出が既に盛り込まれているのです。その演出とは、未来人である彼が、吾朗の母親の記憶を改ざんする描写のカットイン。
原作や大林版では、理科準備室にいた謎の人物が物語の鍵となるので、その人物の正体は終盤までずっと隠されていました。それらの話を既に知る視聴者の存在を加味していたかは定かではありませんが、今作は本来の時かけの結末を「知っている前提」でストーリーが展開していきます。
ドタバタコメディへ
理科室の掃除中に物音を聞いた和子は、準備室へ向かう。そこにはガラス瓶が床に落ちており、部屋に漂う白い煙の臭いを嗅いだ途端に、意識を失ってしまう。時かけではお決まりの導入から、物語は始まります。
下校中の和子は、一緒にいた吾朗がトラックに轢かれそうになった瞬間、数分前に時間が巻き戻る体験をした。疑問を抱いた彼女は、一夫、吾朗、そして福島先生にその出来事を打ち明ける。その場で時を止めた一夫が、自身が未来から来たことを彼女に教える。
劇中で非常に特徴的なのが、和子のタイムリープの回数や方法です。原作や過去の映像化では、それほど頻繁には時をかけません。しかし今作の和子は、自発的に何度も、短いスパンでのタイムリープを行います。
その方法は、自ら皿を割っていくというもの。皿に限らずとも、茶碗や花瓶などの「ワレモノ」の割れる音を耳にすることで、時間を巻き戻せる。逆に周囲の誰かがワレモノを割ると、それに反応して勝手に過去へ戻ってしまう厄介な側面もあります。
和子は過去に行って、色々な人に人助けをします。忘れていた父親の誕生日パーティを盛大に行うため。または、近所のおばあちゃんの畑仕事を手伝うため。他人のために奔走する、彼女の献身的な様子が印象的に描かれます。
本作の最大の特徴は、これまでの時かけ映像化作品にはない、明るくコミカルなテイストです。自由気ままにどんどん能力を使いたい和子。その一方で、能力を乱用してほしくない一夫。そんな二人の言い争いが、テンポ良く繰り広げられます。
言うことを聞かずタイムリープをする和子を懲らしめたい一夫が、時間移動を利用して彼女を恥ずかしい目に合わせる、といった場面も見受けられました。このような能力者同士の些細ないたずら合戦へと発展するのが面白いところ。
加えて作中で衝撃的なのが、銭湯のシーン。時間移動をする中で、一夫は女湯に、和子は男湯に辿り着いてしまう。そこで目に映った光景に面食らった二人は、しばし呆然としていた。コンプライアンスの緩い時代性を突き付けてくる刺激的な描写は、現代のテレビではあり得ない映像です。
こういった風変りな物語は、ドラマオリジナルのラストに向かっていきます。母親の命日を忘れていた和子は、時間を巻き戻して墓参りに行くことに。そんな最中、妹が不意にワレモノを落としてしまい、それを引き金にして、彼女だけがタイムリープをしてどこかの時代に消えてしまう。
アイドルや若手俳優の登竜門
一夫の助けを借りた和子は、妹が行ったと思われる15年前(1970年)の大阪万博に向かう。そこで姉妹は、生前の母親に再会。もちろん自身の素性を明かさず、他人として接していたものの、母親との特別な縁を感じる和子だった。
その夜に見た流れ星に、素敵な恋人と結ばれますように、と願う和子。ロマンチストな一面は、大林版から引き継がれているように見えます。一夫が未来からやってきた目的も、この天体観測に関係しており、ロマンチックな設定に感じました。
物語のラストに一夫は、例のごとく、自身の記憶を消して元の時代へと帰る。過去の映像化の通例では、記憶を消された和子は一夫のことをすっかり覚えていない、という悲しさに包まれて幕を閉じます。
しかしながら今作には、記憶を消された彼女が、一夫の存在を完全に覚えていることが分かる台詞があります。大林版が悲劇的な終わり方だったのに対して、ハッピーエンドを迎えています。つまりこのラストも、大林版との対比が意図的に設けられている部分と考えられます。
前述したような例も含め、作品の外側である製作背景やコンテンツの歴史が、作品の内側にある物語の内容と、実は密接な関係にあることが伺えます。
最後に特筆すべきは、おてんばな主人公を演じる、主演の南野陽子さんの可愛らしさです。大林版で演出された和子とは異なり、明るさが印象的。タイムリープを人助けに使う和子の人間性と、天真爛漫さが全編を通して伝わってきました。特にコーヒーゼリーの件は、本当に可愛らしい。
1984年に芸能界デビューした南野さんにとって、初めての主演ドラマだったこの時かけ。そして本作の3日後に放送が開始される『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』(1985-86)で、2代目・麻宮サキを演じ、一気にトップアイドルへ上り詰めます。
時かけの映像化作品は、このドラマ版を皮切りに、アイドルや若手俳優の登竜門的な題材としての地位を確立していきます。その要因として大きいのは、たとえストーリーやテイストを大きく変えても、青春物語としての話の根幹の面白さが損なわれない点が、今回のアレンジで浮き彫りになったからではないでしょうか。
それゆえに脚本や監督が自分の色を強く出したり、「お試し」要素を加えたりできます。また同時に、コンテンツの知名度があるので、比較的世に知られていないアイドルや俳優をキャスティングする余裕がある点は見逃せません。
ここまで書いたものの、DVDやブルーレイになっておらず、現在では唯一発売されているVHSに頼るしかないのが現状。歴代の時かけ映像化の中でも、特に視聴する難易度が高い作品であることには違いありません。
最後に
エンドロールでは、和子、一夫、吾朗の三人でボール回しをしている様子が映ります。そこで流れる『アプローチ~接近』は、リリースされた音源とは微妙に異なるバージョンなのだそう。そういった意味でも貴重な作品と言えます。
1980年代の時代性を感じられる珍作にして良作。触れる機会があれば、ぜひとも観ていただきたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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