歴史に残る怪作です。
作品情報
2016年から『週刊少年ジャンプ』で連載された同名漫画のアニメ化。原作者・白井カイウがシリーズ構成に参加し、「グレイス=フィールドハウス脱獄編」を映像化したSeason1の続きを描く。アニメーション制作は、前作に引き続きCloverWorksが担当する。
原作: 白井カイウ / 出水ぽすか
出演: 諸星すみれ / 伊瀬茉莉也 / 神尾晋一郎 / 種﨑敦美 / 内田真礼 ほか
監督: 神戸守
脚本: 大野敏哉 / 高木聖子 / 七緒
放送期間: 2021/01/07 – 03/25
話数: 11話 + 特別編
あらすじ
グレイス=フィールドハウスから脱出した15人の子どもたち。偽りの楽園を捨て、自由を求めた彼らを待ち受けるのは、見たことのない植物や動物、そして迫ってくる”鬼”⋯⋯美しくも、立ち向かうにはあまりにも過酷な外の世界。
INTRODUCTION|TVアニメ「約束のネバーランド」Season 2より引用
でも、子どもたちはあきらめない。”ミネルヴァ”からのメッセージ、ノーマンが遺した1本のペンに導かれ、明日を目指す。ハウスに残した”家族”を迎えに行く、その約束を果たすために。
レビュー
このレビューは作品のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
原作から物語が分岐する第3話
2019年1~3月に放送された『約束のネバーランド』(以下、約ネバ)のアニメ版。原作コミックス1巻から5巻にあたる「脱獄編」を映像化し、論理的思考による頭脳戦と不気味な世界観を忠実に再現したことで、好評を集めました。
2020年12月には同じエピソードを題材にした実写映画『約束のネバーランド』も公開されました。実写版と比較すると、アニメ版が約ネバの映像作品として高いクオリティで作られていたことが改めて分かります。
脱獄編を描いたSeason 1の続編となる本作。本来は2020年10月から放送予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、3か月後ろ倒しになっています。同時期に原画や資料が展示される「約束のネバーランド展」も開催され、作品全体の熱が高まっている最中に放送が始まりました。
前作の最終話でエマやレイたち食用児がハウスからの脱獄に成功した直後から、第1話は始まります。自然の中で自由に生きることの過酷さを痛感しながら、ノーマンが残したペンに記された座標へと向かいます。
その途中に出会うのが、ソンジュとムジカ。鬼として異端な存在である彼らから、自給自足の生活の仕方や、世界の構造について教わります。
ここまでは原作と同じような展開ですが、第3話で大きな変化を見せます。エマたちがペンに記された座標の場所に到着します。そこにはミネルヴァが脱走児のために用意したシェルターがありました。
漫画では「おじさん」ことユウゴという一人の男性がシェルター内で生活していました。彼も過去に農園から逃げ出した人物です。この場所で何年間も一人で生きており、世界を変えるために危険な行動をするエマに反発します。
今回のアニメでは、漫画でユウゴが手にしていたクッキーやコーヒーカップが描かれており、彼らしき人物がいた形跡があることが伺えます。しかしユウゴが登場することは一度もありませんでした。つまり作品の重要人物である彼と、彼にまつわるエピソード全てを省略したのです。
子供たちがシェルターに到着した後、コミックスでは**「ゴールディ・ポンド編」**という長編が展開されます。ゴールディ・ポンドという鬼が支配する狩庭にエマが迷い込み、そこで暮らす人間とともに鬼と戦う、というバトルメインの話です。
この長編自体も丸ごとカットされたことが、第3話と次の第4話から分かります。ユウゴの旧友・ルーカスや、敵キャラとして登場するレウウィス大公など、ここで新しく登場したキャラクターは軒並み省略されたことになります。
補足しておくと、シェルターに到着するまでの物語にも、細かい描写のカットは多々見受けられます。例えば第1話で登場する「アルヴァピネラの蛇」。追ってくる鬼をこの罠に落とそうとしますが、漫画ではこれより前に子供たち自身が罠に落ちてしまうという展開があります。
とはいえ、第3話でアニメオリジナルストーリーに分岐することが確定しました。ユウゴはエマたちが初めて出会う大人の男性であり、いわば父親的存在です。狩猟の仕方を教える姿は、父親そのものでした。
ゴールディ・ポンド編も、脱獄編とは違ったバトルメインならではの面白さがあります。一人の原作ファンからすると、これらの改変には寂しいものがありました。
継ぎ接ぎによる弊害
コミックスをアニメ化した作品で、オリジナルストーリーを描いたものは、テレビアニメ黎明期から存在します。古くは『鉄腕アトム』(1963-66)や『ルパン三世』シリーズといったように、長期シリーズ化することで原作ストックが枯渇し、元にはない話を新しく作る必然性があったのです。
近年では『銀魂』や『ケロロ軍曹』といった作品が、アニメオリジナルエピソードの評価が高い一例ではないでしょうか。
上に挙げたのは全て、一話完結型の物語。レギュラードラマと呼ばれることもあります。そういったアニメでは、比較的にオリジナルエピソードを挟みやすいです。
一方で、作品全体がひと続きの物語になっている、ストーリードラマではそうはいきません。一部の話を変更・追加すると、他の設定やその後の話に如実に影響してしまうからです。
2000年代になり、テレビアニメの作品数が増えると、相対的にアニメオリジナル展開(以下、アニオリ)が悪い方向に向かう作品も増えました。言い換えれば、アニオリのマイナス面が表面化したのです。
『金色のガッシュベル!!』(2003-06)がその一例として挙げられます。企画当初は1年間のみ放送する予定でしたが、人気により期間を延長。連載中の原作に話が追いついてしまうため、途中からオリジナルの展開に分岐しました。漫画版とは異なる結末への違和感から、不評の声が挙がっています。
原作の連載が既に終了しているアニメ化としては『覇穹 封神演義』(2018)がその代表的存在です。コミックス23巻分を2クールで描くため、エピソードやキャラクターの大幅なカットが行われました。そのためアニメだけ観ても話が分からなくなってしまいました。
こういった作品のように、原作とは大きく話を変更したアニメ化をし、それが原作と比較して面白くない場合に批判が集まってしまう傾向にあります。当然といえば当然ですね。
そのため「原作に忠実なアニメ化=良いアニメ化」という風潮が一般的になっていると思います。社会現象にまでなっている『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』がその代表格でしょう。
約ネバに話を戻します。先述したユウゴやゴールディ・ポンド編のカットはありますが、その後の流れは、
- シェルターへの襲撃
- ノーマンとの再会と対立
- グレイス=フィールドハウスでの対決
といったように、アニメでも原作終盤までのストーリーをなぞっていきます。ただし原作では6巻から20巻で丁寧に描いているのを、11話に圧縮しています。作品内の重要な設定や出来事を台詞だけで説明しており、全体的に駆け足な印象を受けました。
中途半端に元の流れをなぞって元のエピソードを間引いていることで、Season 1で魅力だったロジカルな会話劇が今作では無くなっています。
Season 1でエマは「子供たち全員を連れて逃げる」という想いを打ち明けます。非現実的であることは明らかだったので、4歳以下はハウスに残すという方針に変更しました。その実現のために入念に作戦を立て、見事成功させました。
Season 2でも彼女は「鬼を殺したくない」という考えのもと行動します。ただし実現に向けた根拠を一切持っていません。なので行き当たりばったりで行動して解決策を偶然見つけたように思えます。彼女のエゴに周囲が振り回されているようにも受け取れます。
漫画では、アニメで省略されたとある方法を使って、世界の構造を変えられるかもしれないことが中盤で判明します。だからこそ鬼を殺そうとするノーマンを説得できたのです。そういった裏付けのない説得のため、ノーマンが感情論に流されたように映りました。
ここから分かるように、結果的に前作から登場人物の性格が変わってしまっています。中途半端に原作の流れをなぞったことによる弊害と言っていいでしょう。
性格の改変は他にも見られます。第4話でヌルリンという生物を捕獲し、子供たちで食べようとするというアニオリがあります。未知の生物なので、毒見する人をじゃんけんで決めるのです。家族を最も大事にするエマであれば、彼らを危険にさらすとは到底考えられません。
加えて終盤に、イザベラが敵として子供たちの前に再び立ちふさがり、最終的に味方になってくれますが、その理由も描かれていません。このような心情描写の不足も、視聴者にキャラクターへ感情移入できなくしています。
最終話にみる大人の事情
面白いか面白くないかは別として、第10話までは、アニメだけ観た人でも話の大筋が分かるようになっていました。しかし最終話(第11話)は、そういった視聴者すらも置き去りにする内容でした。
鬼の世界の門番であるピーター・ラートリーがいなくなり、人間の世界へ繋がる門に到着した食用児たち。エマ、ノーマン、レイ、そして試験農園(ラムダ7214)出身の食用児の一部は、残りの食用児を救出するために鬼の世界に残りました。
その後なんやかんやあって、鬼の世界は良い感じに救われ、ようやくエマたちも人間の世界へ行くことが出来ました。
なぜ最後の展開をこれほど雑にしか説明できないのか。それは本編でも静止画のみで雑に描かれたからです。ナレーションも当てられていないため、絵から物語を読み取るしかありません。
原作から察するに、静止画シーンではこのようなことが起きたと考えられます。
- 鬼の世界に残った子供たちは、ソンジュやムジカと協力し、王都を襲撃した。
- その前に大僧正という偉い鬼を蘇生させ、彼の力を借りることで鬼の民衆を味方につけた。
- 壊滅した王都を立て直すべく、ムジカが新しい王に即位した。
- 神的な存在と「約束」を交わすことで、二つの世界の行き来が二度と出来なくなった。
- ムジカへ別れを告げ、人間の世界へ到着した。
正直このシーンを観ただけでは、さっぱり分かりません。
公式のツイートのリプライ欄には、最終回放送後に多くの批判がたくさん寄せられました。
原作に忠実なアニメ化が一般的に望まれている中で、こういった改変をしたのは、製作陣の本望ではなかった可能性もあります。私自身、何かしらの「大人の事情」が働いた結果であると思わざるを得ません。
これはあくまで推測ですが、Season 2までしか作れない、という偉い人の意向があったのではないでしょうか。作品人気なのか予算なのか、真実かどうかは、本人にしか分からないことですので憶測に留めておきます。
もしこれが事実であれば、そんな無理難題をなんとか形にした方々にまずは「お疲れさまでした」と言いたいです。
ではそういった条件があったことを前提としたとき、今回のアニオリとは違う選択肢も存在したと思います。
ミネルヴァ探訪編(ソンジュとムジカとの出会い)とゴールディ・ポンド編に絞った映像化が、Season 2で最も望まれていた展開だと思われます。レウウィス大公というボスキャラもいるので、構成的にもそれほど難しくないでしょう。
個人的にはSeason 3が作られないとしても、ゴールディ・ポンド編を丁寧に作ってほしかったです。
もしくは完全なアニメオリジナルの結末を用意しても、受け入れられた可能性は十分にあると思います。本作のように元のストーリーに微妙に寄り添った形ではなく、全く違った仕掛けを用意した場合、原作ファンにとっても新鮮さがあります。
もちろん賛否両論になると想像できますが、一つの作品としての完成度は今作よりも高まったのは確かです。
アニメのみ視聴していた人を、原作漫画へと引き込んだのは間違いありません。しかし作品としての完成度は褒められたものではありません。原作ファンは不満多数。アニメだけ観た人は意味不明。原作者はじめ製作陣も叩かれる。果たして誰得なのでしょうか。
最後に
ある意味で2020年代アニメ史の代表的な作品です。いつかリメイクしてくれることを切に願うばかりです。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
Comments