映画『美女と野獣(2017)』感想:ディズニー実写の圧倒的な美しさと新しさ

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ディズニーランドの新エリアに行きたい。行きたすぎるあまり、アニメと実写両方見返してしまいました。今回は実写版を中心に書いていきます。

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作品情報

1991年に製作されたディズニーの長編アニメーションの実写化。元になっているのは18世紀フランスで書かれた同名の民話。読書好きな美しい女性ベルと、野獣へと姿を変えられた王子の恋愛を描く。『ハリー・ポッター』シリーズや『ウォールフラワー』の、エマ・ワトソンが主人公ベルを演じる。

原題: Beauty and the Beast
出演: エマ・ワトソン / ダン・スティーヴンス / ルーク・エヴァンス ほか
監督: ビル・コンドン
脚本: スティーヴン・チョボスキー / エヴァン・スピリオトポウロス
日本公開: 2017/04/21
上映時間: 129分

あらすじ

魔女に呪いをかけられ、醜い野獣の姿に変えられてしまったひとりの王子。魔女が残していった1輪のバラの花びらがすべて散るまでに「真実の愛」を見つけなければ、永遠に人間に戻れなくなってしまう。希望をなくし失意の日々を送っていた野獣と城の住人たちの前に、美しい町娘ベルが現れる。自分の価値観を信じて生きるベルは、恐ろしい野獣の姿にもひるまず、彼の持つ本当の優しさに気づいていく。

美女と野獣 : 作品情報 – 映画.comより引用
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レビュー

このレビューは作品のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

アニメと実写 それぞれの映像美

誰もが知っていると言っても過言ではない1991年のアニメ『美女と野獣』。改めて見返して感じたこの作品の凄い点は、ミュージカルで使われる歌一つ一つの完成度です。『美女と野獣』(”Beauty and the Beast”)や『朝の風景』(”Belle”)など沢山の名曲が揃っています。個人的には『ひとりぼっちの晩餐会』(”Be Our Guest”)が、映像と相まって、否応なく楽しい気持ちにさせてくれるので大好きです。第64回アカデミー賞の作曲賞と主題歌賞を受賞したのも納得の曲目です。

『ひそかな夢』(”Evermore”)をはじめ、実写版ではオリジナルの新曲も用いられています。既存の曲に負けないような出来の曲を作っていて、なおかつ元の作品の世界観を崩していないのが素晴らしいポイントです。

ミュージカル映画としての完成度にも通ずるのが、アニメーションの心地よさです。ディズニーらしい「アニメ的」なデフォルメをされたキャラクターたちが登場します。ルミエールやコグスワースら家財道具たちは本当にいとおしい。そして彼らのアニメ的挙動の一つ一つが見ていて心地よく、そしてディズニーらしく、安心して観ることができます。

アニメとは違った映像的新鮮さが、実写化には盛り込まれています。城や野獣、村の街並み、小道具にいたるところまで作りこまれた美術が生み出す豪華さに圧巻されることは、間違いありません。そして映画全体を通して気品高い印象を与えます。映像から伝わってくる豪華さは、この世のものとは思えませんでした。ベルが住む村を映す冒頭のミュージカルシーンの時点で、観客を一瞬でフィクションの世界に連れていってくれます。

元の作品ではコメディよりのキャラクターとして描かれた家財道具たち。今作で彼らは「リアル」なタッチのCGで描写されます。また映画の作風に関しても、コミカルな要素は抑え目になっており、リアルでシリアスなトーンで物語が進むのが印象的です。

そしてこの映画を観た多くの人が賞賛するのが、実写版ベルとして完璧なエマ・ワトソンさん。彼女のベルとしての圧倒的な存在感だけでも、本作を観る意義は十分にあります。アニメ版で進歩的な考えを持った人物として設定された彼女を見事に体現しています。本作では村の子供に文字の読み方を教えるシーンが加えられているなど、より知的なイメージが強調されています。

1.5倍の上映時間が語る物語

ベルと野獣の出会いから最後に二人が結ばれるといった、全体のストーリーにほとんど変更は見られません。誰もが知っている話を改変してしまうと、元の作品やディズニーを愛するファンへの裏切りに繋がってしまうのは間違いありません。だからこそ他のディズニー実写リメイクを含めて、物語の「語り直し」に焦点を置いていないのだと思います。同じ物語展開ながら、アニメ版の上映時間が84分であるのに対して実写版は129分です。1.5倍ほど長くなっています。そのためアニメ版よりもゆったり進んでいくという印象を受けます。

物語の冒頭で魔女によって王子が野獣に変えられるまでの経緯が説明されます。アニメではナレーションでさらっと説明されるだけでした。対して実写版では、この前日譚も映像化しており、ここで後に家財道具に変えられる使用人やペットが登場します。本作の観客の多くは、元の作品の物語をすでに知っています。あえて使用人たちを先に登場させることで、彼らが道具に変えられてしまう悲しさが、観客に伝わってきます。使用人たちの物語は、後述する終盤のある展開にもつながっていきます。

上映時間が大きく増えたということは、本作には元のアニメにはない要素が加えられているということです。実写オリジナルの要素の中でも大きい部分を占めているのが、主人公たちの親子の物語。ベルの父親モーリスが、どうやら今は一緒に過ごしていない妻を想っている様子が、序盤から示唆されます。野獣が持っていた「行きたい場所に行ける」本を使って、ベルは両親の別れの真相を知ります。そこで野獣はモーリスに対する考えを改めます。そんな彼も、母親を早くに亡くし父親に厳しく育てられたことが中盤で明らかになります。

元のアニメではベルや野獣のバックボーンはあまり詳細に描かれず、スピーディーに物語が進みます。あくまで推測ですが、実写化に伴って彼らに人間的な厚みを持たせる必要があり、そのための追加要素なのではないかと思いました。

クライマックスの展開もアニメと一緒ではなく、ひとひねり加えられています。城にやってきたガストンに野獣が撃たれて倒れます。さらにバラの花びらの最後の一枚が落ちてしまいます。ここまでの展開は同じですが、実写版では使用人たちが完全に道具に変身してしまう様子が丁寧に描かれます。冒頭で描かれる前日譚や、映画全体のシリアスなトーンによって、使用人たちが人間に戻りたい気持ちがここまで強調されてきました。そんな彼らの無念さがこのシーンに表れており、観客のエモーションを最大級に高めています。

上映時間の長さはあくまでオリジナル要素が足された結果であり、元からあったエピソードをよりじっくり描いてはいないと感じました。ベルが野獣に図書館をプレゼントされてから、二人はラブラブな感じになります。アニメ版を観たとき、やけに唐突だなという印象でした。なので実写化では、二人が恋愛関係に発展するまでの様子を描くのに時間を割いてもよかったのではないかとも思いました。

唐突で言えば、クライマックスの悲劇的な展開のあと、アガットとして街で暮らしていた魔女によって野獣たちは助けられます。これは実写オリジナル要素です。その後のハッピーエンドな幕引きは彼女の存在を忘れさせる勢いがありますが、こちらも同様に突拍子な展開に思えました。

名作の現代的アップデート

初の長編アニメーション『白雪姫』(1937)から、ディズニー作品には脈々と継承されているプロットがあります。白馬に乗った王子様に「見つけ出された」プリンセスが、結婚するという幸せなエンディングを迎える。一般的に「プリンセスストーリー」と称されているものです。このプロットは、ディズニー・ルネサンスを呼び寄せた『リトル・マーメイド』(1989)にも盛り込まれています。ディズニー・ルネサンスとは、1990年代にディズニーが続々とヒット作を生み出し、復活を遂げた時代を指します。

そういった時代の代表作でもあるアニメ版で描かれるベルは、進歩的な考えを持っています。作品冒頭『朝の風景』にのせて、読書が好きなことが語られます。読書好きゆえに、周囲から変わり者と言われている。「女性は文学を享受したり、教育を受けたりする必要はない」という前時代的な価値観がもとになっています。さらに象徴的な場面として、ガストンら男たちが野獣を討伐しに行く際、女性たちがハンカチを振って見送るシーンがあります。これらの描写から、村全体が古典的な価値観を表現していることが分かります。

周囲に惑わされず自分の芯を持った彼女は、ディズニー・ルネサンス期の作品の中でもフェミニスト的な考えを持ったプリンセスと言えます。今までのプリンセスには見られない、黄色のドレスを身にまとっていることからも、その新鮮さが伺えます。実写版では野獣のもとに向かうとき、ベルが黄色いドレスを脱ぎ捨て馬に乗るカットが追加されています。プリンセスの象徴であるドレスを脱ぎ捨てるという意味で、非常に象徴的に描かれている場面です。

しかしながらアニメの結末は、従来のプリンセスストーリーと変わらず、「王子と一緒に暮らす」というものでした。良き夫と一緒に生活することが、人生の幸せでありゴールであるという物語の着地に対して、フェミニズム的な批判の対象になりました。

この問題は『プリンセスと魔法のキス』(2009)から連なる第二次ディズニー・ルネサンスの作品で解決されていきます。これらの作品は多様的な生き方を肯定するなど、価値観が「現代的」にアップデートされています。ラプンツェルやエルサをはじめとして、いろいろな形のプリンセスが誕生し愛されていることからも、彼女たちが時代にマッチしていることは明らかです。

ジェンダーの観点からの批判と同様に、この物語はルッキズム的な問題を含んでいます。「人間を外見で判断してはいけない」という普遍的で素晴らしいメッセージを伝えているこの作品。しかしながらラストで、野獣は白人イケメン王子に戻る。これによって外見より中身が大切と言いながら、結局外見が良くないといけないと言われているような感じがします。この問題が実写でも続いているのは、ストーリーを変えにくいという大きな壁があったからに他なりません。むしろアニメ版より「この人だれ」感が強くなっていました。エマ・ワトソンさんと釣り合わないと思ってしまう私は、きっと汚れているんだと思います…

実写リメイクすることで、元の作品が持っていたこのような古い価値観のアップデートを試みていることが分かります。その一例として、ガストンの取り巻きであるル・フウが、同性愛者という設定に変更されています。彼がエンディングで幸せそうな様子を見ても、多様性の肯定が伺えます。

さらなる例としては、ガストンの描き方の微妙な違いが挙げられます。本作のガストンの描写で際立っているのが、「こいつ自体は真剣に生きているんだけど、考え方がベルに合わないだけ」感です。実際、彼は統率力もあって人望もあります。ベルに惚れさえしなければ、挫折することなく普通に生きていけたと思います。

ル・フウに「戦争が終わってから物足りない」と漏らしていることにも象徴されているように、彼は「男性性」にとらわれています。言い換えれば、男性らしく力強く振る舞うことでアイデンティティを保とうとしているのです。前時代的な価値観を持った社会=村において、「男性らしくあるべき」というステレオタイプが常識として考えられていたことは明白です。悲しいことに現代社会を生きる男性にも当てはまるこの問題。ガストンという元から男性的な人物に当てはめて語るのはスマートだと思いました。

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最後に

近年製作頻度が高くなったディズニー実写化作品。これら多くの作品に共通して言えるのが、元の作品のイメージを崩さず、現代的価値観を取り入れていることです。さすがディズニーと言わざるを得ない出来なので、万が一見てなかったらぜひ見ていただきたいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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