『個人差あります』感想:多様な愛を肯定する革新的TSF

(C)日暮キノコ・講談社 (C)東海テレビ/共同テレビ

もちろん作品の感想にも個人差はあります。

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作品情報

2018~20年に『モーニング』などで連載された、日暮キノコの漫画『個人差あり〼』をドラマ化。東海テレビ制作「土ドラ」枠で、2022年に放送された。平凡な会社員の晶は、突然女性の身体になったことで、妻との関係を見つめ直していく。そんな「異性化」体質の主人公を、夏菜と白洲迅が二人一役で演じる。

原作: 日暮キノコ『個人差あり〼』
出演: 夏菜 / 白洲迅 / 新川優愛 / 馬場徹 / 紺野彩夏 ほか
演出: 山内大典 / 紙谷楓
脚本: ひかわかよ
放送期間: 2022/08/06 – 09/24
話数: 8話

あらすじ

サラリーマンの磯森晶(30)は、小説家の妻苑子(32)と2人暮らし。幸せなはずだがどこか冷めた夫婦生活を送っていた。
ところが…ある日、晶が女性になってしまう。それは、身体的性別が変わってしまう「異性化」だった。
晶は「異性化証明書」をもらい社会復帰するが、初めてのブラジャーに初めての化粧、そして初めて男性を意識するという感情も芽生え出す。妻・苑子は、どんどん女性になっていく夫に戸惑いながら も変化を受け入れ、夫婦を続ける。しかし…。

イントロダクション | 個人差あります | 東海テレビより引用
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レビュー

このレビューは『個人差あります』のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

異性化が実在する社会

フィクションでしかあり得ない不可思議現象。そう思っていた出来事が実際に起きてしまったとき、人間はどのような感情を抱き、どのような行動をとるのか。好奇心か、それとも戸惑いか。そんな一種の社会実験が、ドラマ『個人差あります』の中では描かれています。

ドラマの原作は、『喰う寝るふたり 住むふたり』でも知られる日暮キノコさんの漫画『個人差あり〼』。講談社の青年誌『モーニング』で2018~2019年に連載され、その後同社の『現代ビジネス』と『コミックDAYS』に移籍し、2020年に完結しました。

第1話は主人公・磯森晶が、妻の苑子にメイクをしてもらっているシーンから幕を開ける。それから数週間前、晶が「異性化」した当日に遡る。100円ショップの商品開発部で働く晶と、小説家の苑子。夫婦間での会話は少なく、二人の関係は決して良好とは言えなかった。

ある日突然、家の中で倒れた晶は、病院に運ばれる。瀕死状態から目を覚ますと、なんと女性の身体に変わっていた。この導入から明らかなように、TSF(Transsexual Fiction)に分類される今作。あくまで空想上にしか存在しない、身体的性別の変化を扱ったジャンルです。

同じくTSFであるアニメ『お兄ちゃんはおしまい!』(2023)は、女性の身体を早々に受け入れた主人公が、新たな日常を謳歌するファンタジーでした。同作とは異なり、このドラマは対照的なアプローチ。漫画的かつSF的なこの設定を、非常にリアリスティックに描写しています。

役所の手続き、仕事、そして子づくり。それらの問題に、登場人物たちが直面する様子が淡々と語られます。異性化を現実的に捉えた世界観を思いついた、日暮キノコさんの発想力がまず凄い。こういった世界観の作品は他に知らなかったので、新鮮に感じました。

個人的に感銘を受けたのが、「異性化証」という公的な証明の存在。この証明書のおかげで、異性化がウソやドッキリでなく実在する体質であることを、周囲の人々が受け入れやすくなっています。

というのも世間一般において、異性化は噂程度にしか知られていません。この現象は、生死をさまようのが引き金とされています。もしこの事実を公表すれば、希望する性別になりたい人が自ら瀕死状態に陥ろうとする危険性がある。そのためこの体質の詳細は、周知されていないのです。

仕事と子づくり、男と女

SF的な導入ではあるものの、登場人物一人ひとりの心情が丁寧に描写されているこのドラマ。女性ならではの問題に次々とぶち当たる晶は、自身の急激な変化をなかなか受け入れられない。苑子は「女の先輩」として夫をサポートするが、晶は彼女の「妹」扱いに苛立っていた。

そんな中、晶が出張から帰ってくると、男性の身体に戻っていた。異性化した人物が元の性別に戻る「リバース」。この現象は性行為が原因と考えられており、当事者が話すのを躊躇する傾向にあるので、異性化同様に深く解明されていません。この理由付けにも妙に納得させられました。

一緒に料理をするなど、リバース後も二人の関係は良くなっていた。しかし苑子との性行為の後、晶が再び女性の身体に変化したため、結果的に男との浮気がバレる。といったように、毎話ごとテンポよく話が展開していくため、予想のつかない展開の連続にどんどん引き込まれていきます。

全編を通して、夫婦の片方が異性化したとき関係を維持できるのか、という問いを提示している本作。物語後半、物理的に距離を置いた晶と苑子は、それぞれ自身が抱えていた問題と向き合っていきます。

その問題はいわば、コミュニケーションの欠如です。例えば第3話では、実はしょっばい卵焼きが好きな晶と、それまで甘い卵焼きが好きだと思い込んでいた苑子のすれ違いが描かれました。

最も象徴的なのが、劇中でたびたび回想されるフリーマーケットでのエピソード。初対面でお互いに一目惚れをした二人は、その流れのまま付き合いはじめました。ゆえに相手の趣味趣向を深く知らないまま過ごしてきたと考えられます。

お互いに気を遣うがゆえに、しっかり対話するのを避け、「良かれと思って」相手のことを決めつけてきました。その結果、相手について全然知らなかったことに、別居してようやく気が付きます。中でも焦点が当たっていくのが、子づくりに対する考え方です。

仕事と子育ての両立は、現代の多くのカップルが抱える悩みでしょう。現実社会における仕事と子育ての関係性、そしてそれらと切っても切り離せない性差が、残念ながら物語にしっかりと反映されています。苑子が両親から離婚を促される場面は、観ていて辛かった。

この他にも様々な「性差」が、劇中の随所に散りばめられています。会社の顧問の台詞「女性ならでは」や、取引先の人の「肩たたき」が描かれる第1話に始まり、性別が変化しただけで周囲の反応が変わっていく。そういった歪さが晶の視点で描写されるため、感情移入させられます。

これまで挙げたリアルなディテールの積み重ねが、演出や音楽と相まって、作品をドラマ的に仕上げています。そのため私たちの世界と地続きの物語として、違和感なく観られました。

実在感のあるキャラたち

さらに物語世界をよりリアルにしているのが、役者陣の演技。実写ドラマ版『らんま1/2』(2011)で乱馬役だった夏菜さんが演じる晶は、サバサバ感が絶妙で、凄く説得力がありました。白洲迅さんとも癖を擦り合わせているので、二人が同一人物に自然と見えました。

お二方と共にトリプル主演を務める新川優愛さんは、複雑な気持ちで揺れる苑子を見事に演じていました。序盤こそ不愛想に見えましたが、実は柔らかい口調で話す人物であることが、とあるキャラクターとの会話から垣間見れます。

晶の先輩・雪平直道役を務めるのは、馬場徹さん。さりげないフォローや気遣いが出来るモテ男に思われましたが、徐々にそのメッキが剥がれていきます。今作で最も旧来的な男性観や女性観に囚われている彼が見せる人間的な弱さには、感情移入させられる部分がありました。

磯森夫妻が利用するドラッグストアの店員・横山真尋は、『仮面ライダージオウ』(2018-19)に出演した紺野彩夏さんが演じています。晶と同様に異性化を経験し、女性の姿で暮らしている真尋。ぶっきらぼうで無愛想な、いわゆる「男性的」な演技が良かったです。

所属していたサッカー部には居場所がなくなり、母親は精神的に病み、付き合っていた彼女とも別れざるを得なかった。壮絶な経験をした真尋ですが、物語後半では泉マリンさん演じる職場の同僚・久美との恋が描かれます。最終話で結ばれた二人の姿を観たときは、本当にホッとしました。

そして本作で最も印象的なキャラだったのが、晶の上司・澤部長。常に周囲に気を配っており、部下から慕われている理想の上司です。3回も性別が変わった晶に対して、「大変そうだな、お前も」の一言で済ませる距離感の取り方は見習いたいと思いました。

彼は「スミレ」という別の一面も持っています。担当編集の紹介で、苑子はスミレと友達になります。大浦龍宇一さんによる、女装を含めた演じ分けもさることながら、これまで歩んできた過去を想像させる、含みのある演技が最高でした。

他にもラバーガールの大水洋介さん演じる晶の友人・山谷は、こんな友人を持っていたいと思わせる明るいキャラだったし、寒川綾奈さん演じる晶の同期社員・川野も、頼れる同期という感じがして良かった。

登場人物の心情が丁寧に描写されており実在感があるため、このように一人ひとりについて語りたくなるほど、思い入れが深くなっていくのです。

「多様性」の映像化

今作には色々なジェンダー・性的指向・性自認の人が次々と登場します。上述した久美やスミレだけでなく、例えば第6話に登場するトランス男性の蒼や、レズビアンであり同姓向け風俗嬢をしているカオルなど。ワンシーンしか映らない人物も含めれば、もっと挙げられます。

このドラマは、そんな彼らの生活をありのままに描き出しています。性的マイノリティと一括りにはせず、またその存在を過度にフォーカスしてもいません。なぜなら、あらゆることに「個人差」があるから。決して押し付けがましくなく、それぞれの生き方をただただ肯定しています。

男性とか女性とか関係なく、個人として他人と向き合う。頭では理解していても簡単ではないでしょう。人はみな多かれ少なかれ「凝り固まった価値観や無自覚な傲慢さ」を持っているものです。私自身も作品を通して、無自覚な偏見に気付かされました。

ただし同時に、晶や苑子が体験したように、自分とは異なる価値観との出会いの大切さにも気付かされます。医師の台詞「世の中には、あなたの目や耳に触れない現実が、いくらでもありますよ」や、澤部長の台詞「我々は知っているものしか目に入らない」が、全話観た後に響いてきました。

それに加え、他人を知ることが愛、という結論に着地しているのが上品に感じました。異性愛から同性愛に変化した主人公夫婦と、同性愛から異性愛に変化した真尋と久美。二組がフラットに描かれているので、性別ではなく相手が誰かが大事、というメッセージに説得力が増しています。

彼らだけでなくメインキャラ全員が、新しい自分を見つけ出した結末は、優しいと思いました。最終話のラストでは、妊娠した晶が、苑子と子育てについて楽しそうに話している。この幕引きも、誰の遺伝子かではなく誰が愛を持って育てるかが大事、というメッセージを体現しています。

しかしながらこのラストは、視聴者の中で賛否両論あるようです。そうした感想の違いこそ、まさにドラマの内容が示しているもののように思われます。改めて原作のタイトルの秀逸さを再認識しました。

近年ジェンダーやLGBTを題材にした作品が増えている中、新しい切り口でジェンダーの多様性を提示しているこの作品。ですが残念ながら劇中の結末は、綺麗事と言えます。「多様性」や「SDGs」が声高に叫ばれているとはいえ、現実社会には性に関する固定観念が今も根強く存在しているからです。

何ならそれらの言葉が一般に広まっていくと、言葉だけが独り歩きする傾向にあります。だからこそ本作で描かれている「リアル」をぜひ観ていただきたい。彼らのような柔軟な考えを身に着けられる手助けになるのではないでしょうか。

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最後に

余韻を引きずるようなシリアスな展開ではありますが、現代の日本に生きる全ての人に観ていただきたい傑作です。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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